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WILD HYBRID

40歳から第2章の人生をスタートしたGID(FtM)の航海日誌 

2024/09/20  [PR]

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  • :2024/09/20/08:55

2009/10/20  ホル注決意までの流れ

ホルモン注射を打つにあたって、医師に見抜かれたとおり、決められないのだ。

そもそも何もしなくても、老化現象にビクビクしているお年頃なのだ(笑)。
打たなくてもいずれやってくる閉経と、それに伴って上がる癌リスク。
閉経は嬉しいが、癌リスクは全く嬉しくない(癌家系だし)。
なのにわざわざ自らそのリスクを早めに上げようというのだ。
ヘタレと言われようがなんと言われようが、親父も祖父も癌で亡くし、血管詰まって右半身不随の障害者になってるお袋を看てきた僕にとって、ホルモン注射に伴うリスクは恐ろしいことこの上ないのだ。

だから、本来やらなくて済めば喜んでやらないだろう。
女性ホルモンが出てる間は少しでもそのリスクを減らしてくれるなら、女性ホルモン様様なはずだ。

なのに、それでもなぜこんなに迷う?
なぜそんなに怖いのに迷う?
なぜそうまでして打ちたい?
なぜそうまでしないと苦しい?
なぜ女性ホルモン万々歳で生きていけない?
 
それはやっぱり僕にとって、その恐怖と同じぐらい性別の違和感が苦しいからだろう。
 
恐れが無い、もしくはさしたるものでなければ迷わない。
まだ親父も癌で死んでなく、お袋も脳出血で倒れておらず、病気にも老いにも鈍感でいられる年齢であれば、迷わず喜び勇んでとっとと決めていたかもしれない。
 
しかし、今は怖いものがたくさんある。
そして、それほど恐れているのに、それと引き換えにしてでも手に入れたいものがある。
 
だったら勢いだけでやれる時にやっちまうしか無いだろう。

それともこのままグダグダ迷って後悔しながら、残り短い人生、老いて死んでいくのか?
 
答えは、NOだ。

ただ、1つだけ、自分の中で動かない気持ちがあることも事実だ。
まるっきりの捨て身にはなれない、という気持ちだ。

ホルモンの作用は不可逆だとは言うが、実際の話を聞いていると、そうでない場合もある。
もちろん、必ずしも戻ると約束は出来ないし、戻らないものも多いので、不可逆を前提に、それを覚悟の上で踏み出すことを求められる。
ある意味、一時の思い込みで安易に進むのを防ぐ意味で、それは当然だろう。
当たり前であって、その覚悟はある。
 
だが、どうもカウンセリングの医師(とりわけセカンドの医師)と話をしていると、時折、打ったら一生打つ!みたいなことを求められているように感じる。
覚悟をシッカリ肝に銘じさせるのはいいのだが、それを求めるあまり、一方通行で方向転換の利かない人間を作り出してはいないだろうか。
 
迷い続けるぐらいがちょうどいいのではないかと、最近僕は思う。
さっき、まるっきりの捨て身にはなれないと書いたが、僕は、今、とりあえず打ってみた、という気持ちでいる。
 
この考え方は賛否両論だと思うので、あくまで僕個人の意見として書く。
 
男らしくなりたい、男の身体つきに近づきたい、ヒゲが欲しい、低い声が欲しい、いずれ手術もして完全な男になりたい・・・など、FtMは理想があるからこそ、リスクがあってもホル注をスタートする。
その効果が希望通りにリターンする確率は未知数であって、その上、身体を壊す、(場合によっては)寿命を縮める、禿げる、ニキビだらけになる等々の望まない効果も発生する。
覚悟しているとは言っても、身体を壊したくて、命を縮めたくて、ハゲたくて、ニキビだらけになりたくて始める人はいない。
後は、得られるものと失うものの折り合いなんだと思う。
 
不可逆を覚悟するには、それだけの見返りを望む。
男になる!一生打つ!と盲信して走り出す方が、僕は恐ろしく感じる。
見返りの保証などどこにも無いのだ。
1年打って、生理が止まらないという人も中にはいる。
何年打ってもヒゲが生えないという人もいる。
声も大して変わらなかったという人もいる。
そして例えば身体だけが徐々に壊れていくとか、脱毛だけは激しいとか、そうなったら僕は、おそらくホルモンを中止すると思う。
得られるものと失うものの折り合いがつかない。
それでも危険を冒し、金をかけ、打つ意味があるのかと問われたら、僕には無い。
 
そもそも、何かしらの理由でホルモンが続けられなくなる場合もある。
身体を壊したり、金銭的な理由であったり。
その時に、一方通行猛進の気持ちだと、果たしてどうなるのか。

生きていけなくなる。

東大一発合格だけを目指して生きてきて、不合格になって自殺する
そんな人間の心理と非常に似た状態になるような気がする。
 
だから、不可逆への覚悟は確かに必要だが、それと同時に、方向転換できる覚悟もまた、必要なのではないだろうか。
 
身体が女で生まれてしまった。
これはもう変えようのない事実だ。
それをいくらどういじっても、完璧な男になることは死ぬまで無い。
折り合いというのは、どこかで必ず必要なのだ。
 
僕は、「身体は女で心は男なんだよね?」と言われると、それはそれで違和感を感じる。
身体は100%女、心は100%男、という意味に取るからかもしれない。
自分の性別に違和感を感じないで生きてきた人には、そういう言い方でしか表現できず、そういう考え方でしか理解が出来ないんだろうから仕方がないとは思うのだが、ぶっちゃけそれとも少し違う。
 
女として今までの人生の半分以上を生きてきた。
社会生活もそれに合わせてきた。
女としてしてないのは結婚と出産ぐらいだ。

だが、それで外見上だけでも生きやすかったかと言えば、僕の場合はそうでもない。
僕の場合、全てが中間ぐらいにあったからだ。
スポーツもしてないのに、身体は筋肉質。
女と言うにはガッシリしすぎ、男と呼ぶには丸みがありすぎる。
声も、女にしては低く、男にしては高い。
男としてはもちろん、女として生きても、はみ出す。
どちらかの枠にハマれたことがない。
もし女に枠にハマることが出来ていたら・・・もしかしたからあきらめて女として生涯を終えられたかもしれない。
 
そんな自分で生きてくるには、どっちの自分も受け入れるしかなかった。
それが出来なかったら・・・今、僕はここでこうしてブログを打つことなく、とっくにこの世からオサラバしていたかもしれない。
 
そうして約40年間生き延びてきてしまった。
その結果、世間一般で認識されているFtMとは一味違うFtMになった。
時々自分の身体が許せなくて傷つけそうになることはある。
でも、生理とかは(イヤだけど)まだなんとかガマンできるのよ。
だって誰に見せるもんでもないし、40年こなしてきちゃった実績もあるし。
そもそm、ほっといたってあと数年〜10年もすれば上がるだろうし(笑)。
 
それよりも、人と接するのがイヤだ。
「ドッチだ?」って目で見られ続けるのが苦痛だ。
声を出した瞬間、「えっ?」と見られるのが苦痛だ。
女の格好をしてた頃はさすがに「ドッチだ?」はなかったが、それでもやっぱりどこか異質なものを見る目で見られていた。
自分にムリして女の格好をした挙句、それだからたまらん。
 
完全な男になんてなろうとは思ってない。
そんなもんムリだし、そもそも完全な男ってなんだ?
100%男、100%女ってそもそもいるのか?
男にだって女性らしい部分はあるし、逆もまた然り。
全てはパーセンテージの問題だと俺は思ってる。
パーセンテージの高い方の心の性別と、身体の性別が合ってさえいれば、社会で生きていくのに支障が無いし、違和感なんてものを自覚せずに一生を終えられるんだと思う。
これが合わないと違和感を感じる。
だけど、違和感を感じるからと言って、心が身体と逆の性別100%だってことはない。
 
だから、終生男になりたいと願い続けてホル注を打ち続けようとは思ってない。
一生するかもしれないし、しないかもしれない。
そんなものは今の時点で分からないし、決められない。
ただ、今は自分が生きやすいよう、身体を変化させたい、と考えている。
そのために打ち始めたし、望むものと折り合いが付かなければやめる。
もちろん、変化する部分は戻らないであろうという覚悟はちゃんとしている。
 
今まで、この状態で40年間生きてきた。
ガマンすることに慣れているから、いざとなればやめる覚悟もある。
それでも今は打ちたい。
今まで何もしないで苦しんできたから、今度は何かする番だと思う。
心の性別の割合なんて、おそらくGIDじゃない人も、男女混在している。
でも、身体は割合じゃなく、どちらか1種類しかない。
心の割合の多い方と身体が食い違うから、違和感が出て苦しむ。

ホル注打って、自分が生きやすい着ぐるみが欲しい。
世間一般でおおよそ男とみなしてくれる着ぐるみが。
少なくとも、社会的に言われる女性としては、心も身体も規格外でムリ。
 
婦人科の医師にそう伝えたら、達観してるね、と言われた。
達観してるとは思わないけど、フレキシブルな考えを持てなかったら、根は完璧主義の自分だから生きて来れなかったと思う。
だって、出来るんなら生まれたままの男がいいもの。
奇異の目で見られない生き物がいいもの。
難しい説明をしなくて済む規格内の人間でありたかったし、ひと言で済む性別がいいに決まってる。
 
着ぐるみという表現は、人によってはかなり反感を買うかもしれない。
だけど、俺にはピッタリな表現だった。
女性という部分がある以上、俺が男に見えるようになったとしても、それはやはり意図的に手を加えてるもので、着ぐるみなんだと思う。

自分の中の女性部分を完全否定したら、生きていくのがつらいだけだ。
例えばそれは、自分の中の嫌いな部分を好きになる努力をするのと似ている。
目の形が嫌い、鼻の高さが気に食わない、身長が足りない、そういうのも受け入れて昇華しつつ、他の自分の良さも見出せるから、人は社会に出て、人と接して生きていける。
それと同じことなんじゃないだろうか。
 
・・・まぁ僕がこんなこと落ち着いて言えるのも、今、彼女とかいないせいかもしれないな。
彼女がいたら、やっぱ彼女のためにも男ってところに固執したくなるのかもしれない。
 
いずれにしても、そんな想いの流れがあって、いろいろ揺れつつ、ホルモン注射を開始しました。
小難しいこと書くのは、多分最初だけかと思います。
ある意味、気持ちはそういう形で今は固まったんで、今後は身体の変化などを感じたらその都度ご報告していきたいと思います。

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