忍者ブログ

WILD HYBRID

40歳から第2章の人生をスタートしたGID(FtM)の航海日誌 

2024/09/19  [PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

  • :2024/09/19/05:42

2013/08/20  いろんな考え

とあるSNSで参加させて頂いたGIDのコミュニティを退会させて頂くことになりました。
僕的には、mixiやGREEなど、以前登録してたGID系SNSの中では、最も皆さんが有意義に意見交換してるコミュニティだと感じてました。
勿論、今でもそう思ってます。
別にどなたかとケンカしたとかトラブったとか、そういうのでは全くなく、僕個人のわがままに近い形でやめさせて頂くことになりました。

理由は、ある一部の方の発言がどうしても不愉快だったこと。
そして、もう一つは、賛同出来ない情報交換があったこと。
どちらも、間違ってはいないんです。
あくまでも僕個人が、それに関して納得出来なかっただけのことで。
それを問題定義してのコミュニティだろうとも思うんですが、僕個人は自分の価値観を人に押しつけたくないし、“反論”という名の他人の価値観を押しつけられたくもない。
ぶっちゃけ、残念ながらネットでは冷静な“議論”をすることはかなり難しいんじゃないかなぁと感じてるんです。
“ケンカ”、“罵り合い”、“炎上”には本当に簡単に発展するけれども。
疑念を感じてるのが僕だけであれば僕が辞めればいいだけの話で、わざわざ波風立てたくないし、問題定義して他人と議論するだけの時間も余力もないというのが、ヘタれかもしれませんが、僕の最終結論でした。

自分のタイムラインにある一部の人物の自意識過剰な自分自慢のコメントがしょっちゅう上がって来るのは正直不愉快でしたし、最終的にその方が他の方の発言に過剰に反応し、食ってかかり、パブリックスペースでケンカを売っているのを見て、もうカンベンしてほしいと思いました。

また、ホルなどの治療をしてくれる病院の情報を共有する上で、『診断書がなくてもホル打ってくれます』的な情報が共有されているのを見て、僕の考えとは合わないと感じました。

それが悪いわけではないとは思います。
全ては自己責任であり、診断書がないまま急いでホルに踏み切って、その後どうなろうが当人の責任であって、コミュニティの責任ではなく、判断するのは当人です。
だけど、コミュニティには未成年もいるわけで、いわゆる『フライング』の情報を公認するのは、僕はどうしても賛成出来なかった。
無論『フライング』とはいえど、未成年であれば大抵は保護者の承諾証が必要ではあるけれど、その親がガイドラインやホルモンに対しての知識など諸々の情報を理解してるとは限らない。
大した知識もないまま治療を始めて、想像通りにならなかったという現実に、自殺をするGIDも少なくない中で、僕はやはり『フライング』には賛成できない。
ガイドラインは、まだるっこしいかもしれないけど、必要でもあると僕は思ってる(あくまで僕個人の考えですが)。

そうは言っても、そういった情報を共有することもOKというのがそのコミュニティの方針であれば、それを間違ってると批判する権限も僕には無いわけで。
問題定義すれば、きっとそれはそれでみんな考えを出し合って議論してくれたんじゃないかとは思うんだけど、僕はそこまで濃密にSNSにも参加出来ないし、議題だけ放ってあとは放置・・・みたいな無責任な真似もしたくなかったので、悩んだけど退会という形を取らせて頂くことにしました。

ただ、そのコミュニティに参加させて頂いたことは、すごくいい体験だったと心から思ってます。
いろんなGIDの方とも知り合えたし、やめた後も、その繋がりが残ってるし。
相容れない部分がガマンできなかったのは、ただ単に自分の器の小ささのせい、エゴのせいであって、またいつかもう少し自分が大きくなれて、機会があればまた参加させてもらえたら嬉しいなぁと、勝手だけども思っています。

拍手

PR

2013/05/25  治療したら幸せになれる?

え~、今時のアニメというものには特に興味もなく、(けっして否定してるんじゃないんだけど)ほとんど観ない僕ですが、かつて幼少の頃はやっぱりその時代時代のアニメを多少は観てました。
子供心に感銘を受けた作品っていうのは、年を取った今でもやっぱり懐かしい。
で、この折り返しをとっくに過ぎた中年になって(笑)また観たいと思ったりもして、まれ~にレンタルで借りてきたり、Youtubeで観て懐かしんでる。

そんなアニメの中に、年がバレるけど(いや、既にバラしてるけど)『銀河鉄道999』というのがあって。
これは当時、コミックもTVアニメも劇場アニメも全部観たと思う。
ストーリーはあんまり要約したくないのでここでは書かない(興味ある人は年齢問わず観てほしいので・・・ごめん)。
僕は少年:鉄郎に感情移入しつつも、当時からぼんやりと「死にたくねぇ」「女の体は嫌だ」と思っていたので、機械の体が内心うらやましくて、早くここまで科学技術が進歩しないだろうか?などとも思っていた屈折した子供だった(笑)。
だからこそ、それをあえて否定した鉄郎を尊敬もしたのだが。

最近ふと、この劇場アニメの鉄郎のセリフを思い出すことがある。
機械伯爵に母を殺された鉄郎がその復讐を果たした後のセリフで、以下はその抜粋なのだが。

「機械化人を見ていると、永遠に生きることだけが幸せじゃない、
 限りある命だから人は精一杯ぱい頑張るし、思いやりや優しさがそこに生まれるんだと、
 そう気が付いたんです。
 機械の体なんて、宇宙から全部なくなってしまえ、と。
 僕たちはこの体を永遠に生きて行けるからという理由だけで、
 機械の体になんかしてはいけないんだと、気が付いたんです」


したくないなら自分がしなければいいだけの話で、何も自分が否定するからと言って全宇宙から排除しなくてもいいじゃん?・・・とスレた大人はツッコミたくもなるんだけど、そこはまぁ彼がまだ真っ直ぐで純粋な少年なんだということで流してやってください(笑)。

ただ、ある意味、今僕は現代医学の恩恵を受けて、人工的に体に変化をもたらしている人間の一人なので、機械化人ではないけれど、なんとなく深く考えてみると複雑な思いにも駆られる。
僕は今のところホルだけで、オペという選択肢は考えてないけど(正確に言えば考えたいけど年齢とリスクと経済状況を考えて厳しいと自分で判断した)、もし今、精巧な人体マシンがあって、自分が望む男性の体で、そこに脳だけすげ替えて男として生きられるって言われたら、喜んでその道を選んでしまうかもしれない。

オペだけじゃなく、ホルも含め、カウンセリングの先の治療は体の改造だと僕は思う。
当然のことながら、それ自体は否定しない。
自分もやってることだし、しなくて済むならしたくないけど、しなければ今の落ち着いた精神状態は得られなかっただろうと思うから、やっぱり僕には必要だった。
無論、オペまですればもっと心の平安は得られるかもしれないが、いろいろ抱えている問題や事情は性別のことだけじゃないし、(あくまで僕の力量で、だが)その先の戸籍変更まで突き進んでいくだけのパワーがない。
だけど、それが間違ってるとも思わない。
人それぞれの生き方に正しいも間違いもないからね。
だからもちろん他人の生き方に対しても、仮に僕なりの意見は持ったとしても、否定はしない。
(僕的には)誰かを邪魔したり、巻き込んだり、迷惑をかけたりしない限りは何でもOKなんじゃないかと思ってる。

昨今、ネットを通してすごくたくさんの人を見知りする機会も増えた。
リアルだけではなかなか知ることができなかった同じトランス、FtM、そしてMtFの人のことも知ることができた。
昔は、たとえばFtMの場合、僕のように『女性としての人生が長い(もしくは女性として埋もれている)人』、『男と付き合ったことのある人(当然既婚者や子供がいる人も含む)』、『最終的な治療(オペ)や戸籍変更まで望まない人』なんかは(特に悩んでいる過程では上記いずれかに該当する場合がほとんどだと思うが)、偽者だ的なことを言われ、同じトランスの人間からも差別された。
人間ってのはつくづく差別の好きな生き物だと思う。
セクマイの中でまで差別してりゃ救いようがないよね。
まぁ未だにそういう差別をする人は、以前にも書いたけど『人を偽者と言うことによって自分が本物だと主張したいだけ』の『比較対象がないと自分が保てない人間』だからほっといて・・・今は、以前なかなか表に出て来なかったそういう人(つまり自分に近い考えの人)も案外たくさんいるんだってことを知ることができた。
それはとても嬉しいネットの恩恵の1つだ。

また、昔に比べて、GIDそのものの認知度もポピュラーになりつつあるし、GID医療も随分進歩して門が広くなってきた気がする。
それもまた、素晴らしいことだ。
自分のこれまでの人生を否定も後悔もしてないけど、たとえば10代20代のうちに今のGID環境があって、カウンセリングを受けられ、治療を始められていたら、また違った人生もあったかもしれない。

ただ、いいことがたくさん見える反面、逆に狭い視野のままで安易に引き返すことのできない治療に突き進んでいるような人も多くなった気がして怖い。
どこからどこの人がそれに該当するかって線引きは僕には到底できないが、特に若い人の中には、周囲の勢いに乗っかっちゃって、あまりその後のことを考えもしないで、とにかく治療、とにかくオペ、と先走ってしまっている人もたまにいるように見えるのだ。

GIDのGIDたる生きづらさや苦しみは、もちろん人それぞれストレスの度合いは違えど、僕もGIDのはしくれなのである程度分かる。
当然自分にだってストレスはあるし、かつては半ノイローゼだったから。
その中で自問自答したのは、『誰にだってコンプレックスはある。無い人はいない』ということ。
背が低くて悩む人もいれば、顔のつくりで悩む人もいる。
手脚が短いとか、なで肩だとか、体毛が濃いとか、ハゲだとか。
たとえば努力次第で解決できるコンプレックスもある。
貧弱なら鍛えればいいし、色が白けりゃ焼けばいいし、胸で悩んでる女性には豊胸手術というものもある(個人的には小さくても自然な胸が好きですが(笑))。
ただ、どうにも改善しようのない(特に肉体的な)コンプレックスは多いし、それはどの性別に限った話じゃなく、ひとつ解決すればまた別の粗が気になったり・・・向上心は素晴らしいことでもあるが、人の欲望もまた、果てしがない。
そんな中で、僕らGIDには治療があり、それによって解決はしないまでも多少の改善が可能なのは、むしろ恵まれてるとも言えるのかも。

だから、自分のコンプレックスを延々気に病んでる人よりも、それをものともせず、他のことでカバーしようと頑張ってる人が美しく、カッコよく見えたりもする。
要するに、どこまで自分という現実を受け入れられるか、なのかもしれない。
でないと、どこまで進んでも、常に何かしらの不満を抱えてしまい、いつまでも満足を得られないという結果になる気がする。
実は僕自身、オペをしたいという考えがよぎることも多々あったりするのだ。
不満を言い出したらきりがない。

特にこれからのクソ暑い季節、Tシャツやタンクトップ1枚で外を歩けたらどんなにかいいだろうと思う。
白いシャツを着たくても、ナベシャツ透けるから厚手にしなきゃ着れないし
それこそ鉄郎じゃないが、「夏なんて宇宙から全部なくなってしまえ」と思うくらい夏が嫌いだ
それに、トイレだっていちいち個室に入らなきゃならないのは苦痛なのだ。
なにせ男子便所の個室は汚い、そして臭い(女子トイレ経験長いので痛感してる)。
トイレはできるなら立ったままさっと済ませてとっとと出たい。
○○○が流してないなんて事故もたまにあるし
○○○が飛び散って付着した便座だとか、普通にあるし
そこに座らねばならないのは、もはやほとんど罰ゲーム。
つか流せ!拭け!野郎ども!!!

・・・・・・え~、話を戻して。

しかし、果たして僕は、胸オペをして、そこで満足するだろうか?とも考える。
当然、下もオペしたくなるだろうし、戸籍も変えたくなるだろう。
その上、仮にそこまでしたとしても、本当にそれで満足できるだろうか?
あくまで子供の頃だが、「脳移植で、生まれつきの自然で完全な男の体がほしい」と本気で思ってた完璧主義の自分が。
・・・正直、贅沢で我儘な性格は自分で一番よく分かってるから、満足できる自信がなくて怖い。
だからあえて僕は、ホルモン治療、そして『男』ではなく、『治療中のFtM』というライン止まりでいるのかもしれない。

そして、そんな考え事をしていると、ふと、あの『銀河鉄道999』のセリフを思い出すのだ。
(省略すると意味が崩れるから書いただけなので)「なくなってしまえ」の部分は余計だが、闇雲に体に手を加えることだけが幸せじゃない、と僕も思う。
が!それはけしてオペする人を否定しているわけじゃないので、その辺だけはどうかどうか誤解なきように
僕自身ホルしてるわけだから、「治療している」という点では同じ立場だと思ってる。

そうじゃなくて、あくまでアクセントは『闇雲に』の部分。
GIDだから、ホルする。
GIDだから、オペする。
GIDだから、治療したら幸せになれる。
そう思うのは危険だと言いたい。
金のない人が金を持てば必ずしも幸せになれるのか。
身長の低い人が身長が高くなったらそれで幸せになれるのか。
そうとは限らない。
幸せのあり方は、物でも体でもなく、心の持ちようではないのだろうか。

だから、心の持ちようの手助けとして治療が必要と思ったなら、その変化によって性別のことばかり考えず他の幸せに向ける心のゆとりができると思ったなら、せっかくこれだけ治療が受けやすい時代になっているんだから、悩んでいないでぜひ受けたらいいと思う。
だけど、GIDだから、治療さえすれば幸せになれる、生きやすくなれる・・・逆に言えば、GIDだから、治療しないと幸せになれない、生きやすくない、と全てそのせいに考えて治療に突き進んでくとしたら・・・その視野の狭さのまま治療に踏み切ってしまって本当に大丈夫なのだろうか?と心配になる。
これは、時々ふとオペをしたい衝動に駆られる自分に対しても同じように思う。
だからその時は、ちょっと立ち止まって考えてみる。
あの鉄郎の言葉を思い出しながら。





(ちなみに鉄郎はそのあと続けて
 「だから僕は、アンドロメダの機械の体をタダでくれるという星に行って、
 その星を破壊してしまいたいのです!」
 と宣言するので、スレきった大人の僕は
 「オイオイ、そこまでせんでも」とまたツッコミ入れたくなるのですが(笑))

拍手

2013/05/01  GIDの扱い 医療機関編

『GIDの扱い 友人知人編』の続編で、『医療機関編』も書いてみようと思う。

友人知人などや他人と違って、病院にかかるということは保険証が関わってくる以上、『戸籍上の性別』まで知られてしまうし、知ってもらわないと問題もあるし、必然的にカミングアウトをしなければならないわけで。
同じように、必然的にカミングアウトをしなければならない場所というのは、例えば、行政機関だったりもあるんだけど(戸籍や住民票に関わる事柄が多いので)、病院の方が関わる機会も多く、また身体のことも絡んでくるので、GIDにとってはとてもシビア。

病院でカミングアウトをすると、毎度ではないけど、対応で複雑な思いしたりする場合もある。
いろいろ気を遣ったり遣われたり、でなければ(悪気はなくとも)無神経な態度や言葉をもらったり。
それにストレスを感じるGIDも少なくないようで、好きでカミングアウトをしてるわけじゃないのに、その上ダメージ受けるような対応されると余計に凹む気持ちは僕もよく分かる。

例えば僕の場合、以前にも書いたけど・・・。
問診票に『性同一性障害』と明記したのに、検診でカルテが男になってて、検尿カップに『男』って書かれたものを渡されたり(正直、検診の時ばかりはトイレもどっちに入ってカップ置いてくればいいのか迷う)。
胸のレントゲンで「上半身脱ぐだけでいいですよ」って言われて、病衣出してもらえなかったり(言うのもメンドくさかったんでホントに脱いでメッシュのナベシャツ1枚になったら技師ビックリしてた)。
上記は僕にとってみんな笑い話なんだけど、そういうことで不快な思いをしたり傷ついたりする人も多くいるし、それ故に病院に行きたがらない人もいるのは健康的にも問題。
パス度が上がってくると、とりわけそういったアクシデントが発生しやすくなるのは事実。

僕はそういう時、まぁ相手に悪意はないわけだし、それだけ「普通の人が『性別の表記』を気にしてない(見てない)んだな」ってポジティブに受け取ることにしてる。
その方が普段の生活で自分もラクに思えるようになるので。

勿論、言われた内容や言い方、態度にもよるから、ポジティブに受け取れないこともあると思う。
以前、一度ホルモン注射のことを話した整形外科の医師から、「それで、いつまで打つの?もうやめたら?」って言われた時には、さすがに何も知らんで余計なこと言うぐらいなら、疾患だけ診察してくれればいいのにって思ったことあった。
でもねぇ・・・「やめたら?」は余計なお世話にしても、健康を最優先に考えるという職業(つまり医師)ならその言葉が出てしまうのも分からないではないし、ジェンダーや婦人科(もしくは泌尿器科)の専門医じゃないから、知らないのも理解がないのも仕方ないっちゃ~仕方なかったのかもしれない(まぁ曲がりなりにも医師なら、例え専門外でも性同一性障害の大まかな知識ぐらい持っててほしかったっていうのはあるけども)。

いろいろ思うところはあるけど、ホル治療はそういった不便も不快な思いも確実に発生してくるだろうということを覚悟の上で、それでも得たい物があったから、僕は自ら治療を選択し、結果的にパス度を上げた。
なので、状況によって「男として扱ってほしい」とか「性同一性障害者(ある意味での女性)であることに配慮してほしい」とか、極力こちらの都合や感情を押しつけないようにしてる(勿論僕も人間なので、内心思いはする)。

医療従事者なら医療従事者らしい気遣いはほしいとこだけど、彼らだって(ほとんどが非GIDの)人間で、同一性障害ではない人に性同一性障害の人間の気持ちや不便を分かれというのはおそらく無理な話なんだろう。
業務的に気を遣ったつもりでも、それがまったくGIDに通じてなかった、かえって傷つける結果になったってことも多分に起こりうる。
その辺の配慮が出来るか出来ないかって、仕事の経験値よりも人生経験や人間性によって随分変わってくるんじゃないかな。
仮に人間性を少々疑うようなリアクションされたとしたら、それはもうこちらがGIDだとかの問題とは別物だし、そういう人間は他の人にも失礼な態度とって問題起こしてるよ。
GIDってことを意識しすぎて物を見てしまうのは、自分が生きやすくあるためにもあまりプラスになるようには思えない。

僕自身だって、誰だって、気をつけてても知らず知らずのうちに人を傷つけてることはあるんじゃないかと思う。
それと同じなら(悪気がなければって前提だけど)向こうも悪いわけじゃないし、当然こっちが悪いわけでもない。
GIDというこちらの心情を主張しすぎると相手も扱いに困って余計にGIDと非GIDとの間の溝が深まりそうな気もするので、僕は流せるところは流して、流せないところはあまりシリアスにならずに、必要があれば申し出るようにしてる。

当然ストレスもある。
でも、余程じゃない限り、相手に悪意がなければ自己責任だと僕は考えてる。
治療をしなけりゃそんなストレスなくて済んだわけだけど、覚悟して治療を選んだのは自分自身だからね。
無論、覚悟なくスタートしてるってのは論外。

ここ数年でパス度が上がって非GIDの人には出来ないいろんな経験したけど、大体はジェンダーの主治医をウケさせる笑い話になってるかな。
最終的には、大抵のことに「だから何?」的な開き直りが出来る境地を目指してます(笑)。

拍手

2013/04/15  GIDの扱い 友人知人編

ちょっと言葉悪いけど、GIDって、非GIDからしたら、どう接していいか分からず戸惑う部分があると思う。
ただ、これはGIDに限らない問題でもある気がする。
ほとんど全ての人は何かしらコンプレックスを持っていて、時に、無神経な人から傷つけられたり、相手に悪気がなくても傷ついてしまったり・・・っていうのは、誰でも経験してきていることなんじゃないだろうか。

だからあまりGID、GIDと、そこのところだけをクローズアップして考えない方がいいと個人的には思うし、普段は考えていないのだが、やはりGIDはGIDであるが故に性別問題でダメージを受けることも多いので、このブログではちょっと考えてみたいと思う。
あ、僕がFTMなので例えがFTMになるけど、MTFの方は逆に考えてもらえれば幸いです。

よく聞く話が、「男として扱ってもらえない」「GIDだとカミングアウトしたのに(若しくは恰好や立ち振る舞いでカミングアウトしているも同然なのに)理解してもらえない」といったような、周囲の友人関係などでストレスが生じるケース。
例えが悪いけど、ピーマン嫌いな人に「ウマいってコトを理解して欲しい」とか、猫が嫌いな人に「可愛いんだから好きになって欲しい」と言ったって、(相手に悪気がなくても)難しい。
僕自身、それを無理強いされても、ダメなものはダメだろうと思う。
分からない人にとっては(分かりたくても)理解出来ないし、受け入れることが出来ない人にとっては(受け入れたくても)受け入れることが難しいのだ。

僕自身は、自分の望む方向に近い形で扱って欲しいと求めることは、相手に気遣いを強いてしまうことにもなり、最終的には自分も息苦しくなるので避けている。
ごく自然に男として扱われればもちろん嬉しいが、気を遣って男として扱ってもらうことは(感じ取れるから)かえってしんどいのだ。
おまけに自分自身、40年も女性として扱われて生きてくれば、今更まるっきり男扱いされてもどこか違和感を覚えるというか、落ち着かない。
それならいっそ、相手の思うように、自然に扱ってくれればいいやと思ってる。
時にそれは自分にとってつらく苦しいことになったりする場合もあるけど、GIDである(生まれつきの性別ではない)以上仕方がない。
望まざる境遇に生まれる、思うように生きられない・・・ということは何もGIDに限った話じゃないから、なんでもGIDという境遇、そして性別のせいにして、ネガティブに受け取りたくない。
もっと思い通りにならない境遇に生まれて、だけどそれを言い訳にせず、自分の価値観も他人に押しつけず、強く生きてる人はたくさんいる。
出来るなら、そうありたい。

以前はよく、友人に苛立ったり怒ったりもした。
なぜそんなに苛立つのか考えたら、理解してほしい存在なのに、こちらが望むように理解してくれてないから、だった。
なんて身勝手だったんだろう。
僕を傷つけないように友人が気を遣うようになり、『理解』されているのではなく『気を遣われてる』ことにまた苛立ち、自分の価値観を押しつけ、相手の戸惑いを感じて失望し、どんどん人間関係が歪んでいった。
そんな形で男扱いされても、結局あんまり嬉しくもなかった。
性別以前に、人間として対等でない気がしてきたのだ。
逆に言えば、人間として対等になれたら、どう見られてもいい気がした。
そして、対等になれるかどうかは、相手だけじゃなく、自分の心の持ちようもデカく影響するのだ。

性別は自分という人間を構成する一部ではあるが、人は皆性別だけで生きているわけではない。
性別に違和感がある以上、普通の人より性別を意識してしまうのはごく当たり前と言うか仕方のないことではあるが、そのごく一部だけに過敏になり過ぎ、振り回されてることに自分で気づけば、逆にある程度はコントロール出来るようにもなる気がする。
差別的な考えを持つ人も確かにいるけど、性別を気にしてない人も実はかなりいる。
何故なら、非GIDの人は日常、性別なんか意識して生きてないからだ。
こちらが思うほど周りは神経質でもない気がするんだよね。

僕の理想は、『男になる』『周りに男として見られる(扱われる)』ではなく、『性別なんか意識しなくなる』ことだ。
幸い、だいぶ近い意識で生活出来るようになってきた(まだまだ修行は足りないけど)。
自分が誇示しようがしまいが、相手は僕を社会的に2種類しかない性別のどちらかに当てはめるだろう。
それを気にしていたって仕方がない。
黒く見えるものを白に見ろと強制しても無理なものは無理なのだ(強制される相手も可哀相だ)。
ただ、僕がよりストレスを感じずに済むのは『男性に見られる方』なので、その比率を上げるためにホルモン治療をしている。
それ以上のことは出来ない。
人によってはその先にオペや戸籍変更があると思うが、やはり出来るのはそこまで。
自分を見る相手の主観まではいじれない。

だから、出来ることなら、どう見られるかじゃなくて自分自身の(男でもなく女でもなくFTMという)性別自体を『気にしない』『意識しない』のが一番(思いっきり理想論でスイマセン)。
まぁ僕がそれを完璧にマスター出来ればそもそもGID治療なんか必要なくなるのだろうが、GID故、さすがに治療なしでその境地にまでは至れないだろう(笑)。
なので治療の力を借りつつ、普段、性自認を意識しないポジションまで気持ちを持っていきたい。
非GIDの人々がそうであるように。
そうすれば、いちいち性別に関わる発言でダメージを受けなくても済む。
そして、男が「男だから」とか、女が「だって女だもん」と言って時々性自認を意識するように、時々スルッと「いやいやFTMだから(笑)」と言えるぐらいになりたいね。

拍手

2013/02/25  内性器の摘出手術について

前記事とカブる内容になるが、こちらもコミュニティからのテーマ。

戸籍変更を考えてる人は、現時点での日本の場合、否が応でも内性器の摘出を考えなければならない。
何故なら日本の法律では、戸籍変更にあたって、内摘が必須条件だからだ。
そのため、メンタル的、肉体的、日常生活上、内摘までは必要ないと思っている人(または僕のようにリスクなどを天秤にかけた結果しなくても妥協できる人)でも、戸籍変更を望む場合は内摘せざるを得ない。

本来この法律は、(おそらく)内摘まで済ませているのに戸籍上の性別が元のままである人の意思と人権を尊重して、この条件であれば戸籍という絶対的なIDの変更を認めよう、という意図から作られたものではないかと思うのだが、現在は結果的に「戸籍上の性別を変えたいなら内摘までしなさい」という意味合いの本末転倒な法になりつつある。
他の国によっては、内摘までしていなくても、パスポートの性別表記が望む性にできたりもするらしいので(実際には何かしらの条件などはあるとは思われますが、詳しくないので明言は避けます)、日本も見習って極力GIDが不要にリスクを背負わなくていいような柔軟な対応をしてほしい願う。
が、しかし、柔軟性に欠ける不器用な日本社会と、自己責任という考え方が諸外国と比較して確立していない日本人では、その規定を緩めてしまった場合、様々な問題が噴出する懸念もあり、僕個人は手放しで「性別変更の規定を緩くしてほしい!」とも主張し難い(もちろん緩めてもらえれば僕自身にもメリットはあるのだが・・・)。

そんな内容が前回の記事だったのだが(前置き長くてスイマセン)、今回は戸籍変更という理由以外での内摘手術について書きたいと思う。

男性ホルモンによって生理が止まるということは、閉経に近い状態になるということ。
生理が止まる=即閉経ではなく、卵巣の働きを男性ホルモンで抑え込むような形になるんだけど、抑え込まれているうちに内性器は委縮していく。
生理には自浄作用もあって、月周期で子宮内膜を新しくしているわけだが、この生理が止まると子宮の自浄サイクルも止まり、感染症になりやすくなったり炎症なども起こしやすくなる。
また、閉経後の女性と同じく、子宮体癌や卵巣癌になるリスクも増える。
普通の女性であれば、そういったリスクが高まるのは閉経後のおおよそ50代からで、80歳まで生きたとしても、その期間は約30年。
しかしGIDの場合、若い年齢から治療を始めると、たとえば20歳でホルモン治療を開始したとしたら、一般の女性よりかなり早いうちからリスクを背負うことになる。
また、若い年齢で発症する癌の進行は早い(リスク自体は癌だけではないが)。
戸籍変更のためでなく、医師によっては医学的な面から、内摘を勧めるのはこれが理由だ。
内摘してしまえば、その臓器そのものが病気になるリスクは排除できる。
確かに僕も、GID治療前にかかっていた婦人科医から「もし男性ホルモンを長く続けるなら、子宮や卵巣は取ってしまった方がいいかもしれない」とアドバイスされた。

ただ、内摘がメリットだけかと言うと、そうとも限らない。
開腹&全摘手術には様々なリスクが伴う(以下は女性内性器摘出の場合)。
外科的手術(開腹)によって死亡するリスク、全身麻酔・硬膜外麻酔のリスク、輸血の可能性が出てくるリスク、合併症のリスク(尿管損傷、膀胱損傷、腸管損傷(1/1000人)、感染、術後出血、癒着、腸閉塞、下肢静脈血栓症、肺塞栓症、腎不全、骨盤内臓器の脱下垂、性機能不全)、術創の疼痛・痒み・ケロイドのリスク、心臓疾患、骨粗鬆症、尿失禁などの確率が高くなるリスク・・・などなど。
無論、ホルモンを製造する臓器がなくなるわけだから、生涯ホルモンは打ち続けなければならない。
女性ホルモンがほぼ出なくなることによって、更年期障害が進行したり、骨粗鬆症になるリスクも高まる。
内摘しなくても簡単に後戻りは厳しいのだが、内摘をしたら100%取り返しはつかない。
もし何かしらの事情で生まれついた性を生きようと思ったり(もしくは生きなければならなくなったり)、子供がほしいと思ったとしても、不可能になる。
(「気が変わったら」という表現をすると反感を買うかもしれないが、たとえば海外ではいつか子供を産むために内摘をしないままにしておいて、実際に男性ホルモンを一時的にやめて妊娠→出産したFTMもいるし、この世にも人の気持ちにも『絶対』はないと僕は思っているので)

個人的には、臓器の癒着が怖い。
内臓はナメコのようにヌルヌルしていてくっつかないらしいのだが、手術するとこのヌルヌルが取れてしまい、内臓同士がくっつきやすくなるんだそうだ。
術後すぐに少しでも動くことで多少防げるらしいが、万一臓器が癒着してしまった場合、そして後にその周辺の臓器が癌など何かしらの病気になって手術が必要となった場合でも、癒着しているために手術が困難になる・・・というケースもある(もちろんこれはGIDの内摘に限った話ではない)。
また、病気によって内性器を全摘した女性には、排尿障害に悩まされる人も多い(頻尿、失禁など)。

内性器を残すデメリットもあるが、全摘してしまうデメリットもあるということだ。

僕の場合はそれらを天秤にかけた上で、悩んで、(今のところだけど)内摘をしないという結論に至ってる。
理由は、主に僕自身の年齢もあった。
どのみちあと10年もすれば閉経だった。
手術は体力的にもきついだろうし、いつ何時病気で手術が必要になるか分からない年代に入っている。
家系的に臓器疾患になる確率が高く、その際癒着があって手術できないと命取りになる可能性がある。
自分の生き甲斐でもある趣味に支障をきたす後遺症が残る可能性がある。
残りの人生もさほど長くないであろうから(笑)。

しかし、年齢がまだ若い人の場合、卵巣を男性ホルモンで抑え込む期間が長くなると思うので、必ずしも僕と同じ選択肢が最善とは限らない。
いずれを選ぶにしてもメリットだけではないので、主治医と相談しながら、時には(環境が許せば)セカンドオピニオンで他の専門家の話も聞き、デメリットの部分もよくよく理解して熟考した上で、急がず慌てず焦らずに(取り返しがつかないので)、自分にとって最もベターな選択をして欲しいなと思う。

内摘(特に女性内性器の全摘)の詳細については、「GID」や「FTM」を絡めたワードでググるより、「子宮摘出」「卵巣摘出」などのワードでググる方をお勧めします。
全国に、様々な女性内性器の病気で、望まずに全摘せざるをえなかった女性の方がたくさんいます。
そういった方のための医療専門サイトや体験談の方が、デメリットや後遺症などについては現実的な詳細が書かれている気がする。
女性の体から女性内性器を摘出するという点では同じことになるので、そういった方々のお話しも参考にさせて頂いて、今一度よく考えて決めてください。

各々の体の事情、状態、体質、心の事情、状態、考え方、年齢、環境・・・様々な事情があると思うので、僕にはどうするのが一番いいとはけして言えない。
他者からすれば、正解も間違いもないんだと思ってる(当事者にはあるのだろうと思いますが)。
ただ、内摘するにせよ、しないにせよ、デメリットは必ず自分自身が背負っていくことになる。
その時になって、「こんなんなるならやらなきゃよかった」と思っても遅すぎる。
万一そうなってしまっても、それは誰のせいでもなく自分の責任。
だから、ホルモン治療にしろ、内摘手術にしろ、メリットだけに着目しないで、できるだけたくさんの正しい知識、情報を積極的且つ能動的に入手して、メリットとデメリットを両方知り、理解し、納得、覚悟した上で自己責任に於いて選択してほしいと願います。
最低限、やったあとから「知らなかった」ということにだけはならないように・・・。

拍手