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WILD HYBRID

40歳から第2章の人生をスタートしたGID(FtM)の航海日誌 

2024/09/20  [PR]

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  • :2024/09/20/08:41

2010/08/19  男友達

僕には長年の付き合いになる男の友人がいる。
もう20年ぐらいになるだろうか。
彼はもちろん僕の女性時代もよく知っている。
つか、女性時代での付き合いの方が長い。

なぜなら、僕は41年の人生で、37ぐらいまでを女性として生きていたからだ。
とは言っても、判別不能な(男性化した)感じで生きていた年月も半分近くあるので、まるっきり女性だったわけでもないけど。

いずれにしても、その友人は僕にとって最古の旧友で、かつては恋人でもあった。
いわゆる「元カレ」ってやつだ。
まぁそんな甘い言葉が似合う関係は、当然のことながらもはやお互い心身共に微塵も無いが。

しかし、男女の関係に限らず、そういった個々の人間関係の感覚は、当事者にしか分からない。
事実上の関係だけを言葉にすると、多くの人は首を傾げる。

例えばの話、世間一般的に「肉親であれば愛情があり仲が良いはず」という認識があっても、全ての家族がそうであるとは限らない。
他人以上に疎遠な関係もあれば、憎み合っている関係すらある。
様々な経緯があって、当事者にとってはそれが自然な流れに沿った感情であっても、他人は自分に置き換えて考えようとするのでさっぱり理解できない・・・そんなこともある。

だからそもそも人間関係というものを理解しようとすること自体に無理があるのだが、人はついついそういったことに好奇心を抱き、聞き出して自分に置き換えて考えたがる。

僕の旧友が僕に対してどういう感情を持っているか、僕は知らない。
そんなこと分かるさ、なんて言う方がよっぽどウソ臭いし、おこがましいだろう。
どんなに親しくとも、人の心の奥底まで、人が分かるわけはないのだ。
ただ、長年付き合い、かつては夫婦同然に一緒に暮らした仲だから、ある種の情は存在すると思う。
僕はけしてダナーズではないが、彼に対する情は確かに僕の中にある。
あえて言うなら、僕にとっては家族みたいなもんだ。
向こうもいろいろと僕を心配したり世話を焼いたりしてくれるから、似たような感情なのかもしれない。
ただ、明らかに男が女を心配したり、男が女に世話を焼くような形のものではないけれど(かと言ってまるっきり男扱いをされてるというわけでもないが)。

彼は僕より上の45で、独身(ちなみにノンケ)。
彼は仕事面及び収入がしっかりしている、僕はその点は彼に比べてかなり心もとない。
その代り僕は日常生活に於いて収入面以外はしっかりしている、彼はそこがかなり抜けている。
それぞれお互いこの先結婚ももうないだろうし、いつ孤独死してもおかしくない環境と年だから(笑)、わりと頻繁に連絡を取り合い、弱点をフォローし合い、助け合い、気にし合いながら日々を過ごしている。
彼とは趣味が共通していて、とりわけ冬の時期は週末を一緒に過ごすことがほとんどなので、送り迎えも面倒だし時間もロスするから合理的にルームシェアでもしようかなんて話も出ている。

FtMの僕にそんな家族同然の男仲間がいると話すと、多くの人は不思議に思うらしく、8〜9割方言われる言葉がある(主に女性に言われる)。
「相手の人(男友達)、心の広い人だね〜」、若しくは「やさしい人だね〜」、「器の広い人だね〜」等々。

親しい友人を褒められれば、僕だって嬉しいし誇らしい気分にはなる。
が、しかし。
ひねくれている僕はふと思うのだ。
その言葉の続きには、無意識に何が含まれてるんだろう、と。
例えば、「彼女でもない相手に」とか、「身体の関係もないのに」等々(実際そう言われたこともある)。
まぁ確かにそれも事実だし、一理あるんだけどさぁ・・・。
でもそれって平たく言えば、卑屈だけど、「(俺が)GIDなのに」っていうことだろ?

何?ソレ
ってことは、何、俺、「お友達になって頂いてる」わけ?
そうでもなきゃこういう関係はあり得ないってこと?
肉体関係が(生物学的に)可能な人間同士は、肉体関係を有さないと助け合うはずがないって意味?
むしろそんなこと言うヤツの方が、「身体提供すれば面倒見てもらって当たり前」って思ってんじゃないの?

僕らGIDに、ある意味「同性」はいない(というのが僕の考えだ)。
強いて言うなら、FtMにとってはFtMが、MtFにとってはMtFが、唯一の同性だ。
その人の性自認によって千差万別だが、一般社会の男女別で考えると、大雑把に分けてしまえば、肉体上の同性は精神上で異性になり、精神上の同性は肉体上だと異性になる。

ってことは、異性間の友情が成立しないと考えるならば、FtMはFtMとしか友達になれないって話になる。
しかし、僕にはむしろGIDの友達がいない。
友人はある意味、みんな「異性」だ。
ホルモン投与して性欲だけは男並みの僕でも、女性と友達になれないわけじゃない。
性欲が強いからと言って、女と見れば片っぱしからセックスの対象になるわけでもない。
相手に魅力がないというわけじゃなく、魅力があっても友人であることが一番いい関係であると判断すれば、それを維持することはできる。
人間の魅力は、何もセックスアピールだけではない。
「友達になってやるよ」としか思えないような人間とは、そもそも付き合い自体しない。
誰だってそうだろ?僕だけ?

僕の男友達のことを「心の広い人だね〜」と言った人は(悪意のないことは分かっちゃいるが)、男友達側だけが譲歩やガマンをしてGIDの僕と友人になってくれている、と根底では思っているんじゃないだろうか。
発想というものは、無意識に出るその人の根本的な考え方の写し鏡でもある。
もしかすると、それを言った人自身が、自分がもし彼だったら僕と「友達になってやる」という感覚を持っているのか、若しくは異性との友達関係自体持てない人なのかもしれない。

確かに、男友達が譲歩してくれてる部分もあると思う。
その譲歩の部分の中に僕とヤツの場合は「GIDである」という要素も含まれているだろう。
女性時代を知ってるだけに、変に気を遣わせている部分もあれば、戸惑わせてしまっている部分も多分にあると思う。
そこは間違いじゃない。
自分でもそこは申し訳なく、心苦しく思っている、僕の弱みだ。
だが、男女抜きで、人間関係で考えれば、僕だって彼に対して譲歩もしているしガマンしている時もある。
そこに「GIDである」という要素がないだけだ。
それでもなお且つ、互いが互いを大事に思ってるから、性欲を満たすというメリットがなくても友人関係が続けられるのではないか。
そうでなきゃ、単純に、友人関係や家族愛ってものそのものが成立しなくなるんじゃないの。

・・・なんて長々と屁理屈を書いたけど、結局、卑屈に解釈しすぎてるだけなんだろうなぁ(笑)。

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2010/02/18  賛否両論

先日触れた、「また批判されちゃうかも」の話の続きをちょろっと。

ハゲの話とは全く関係ないが(笑)、要するに、マイノリティの中でもマジョリティとマイノリティがいて、マジョリティと異なる考えを言ったりすると批判されたり叩かれたりするって話。

以前ブログで、「賛否両論あるかもしれないけど、レディースデーに女性料金で映画を観た」と書いたら、案の定批判を食らった。
「自分は否定派だし、それはやらないな。周りを混乱させたり、周りに迷惑かけてもいいなら、好きにすれば?」みたいな嫌味っぽいことを言われたんだっけかな。

忍者ブログに引っ越す前の出来事だったので、ここにそのコメントは残ってないが、それも含めてちょっと感じてることがあるので書こうと思う。

はっきり言って、必死に他人を批判する人間の気が知れない。
いや、批判的な意見を持つこと自体は自由だし、いいのだ。
人それぞれ考え方は違うから、賛同者もいれば反対者もいるだろう。
議論の場では、それを用いて意見を闘わせることも必要だし、それによって新しい考え方が生まれたり、人と人とが分かりあえたりすることもある。

ただ、それを他人のブログで言い逃げみたいに主張する必要はあるのだろうか、と甚だ疑問である。
その人はその人の考えと信念があるのだろう。
しかし、僕にも僕の考えと信念がある。
互いに、そこに辿り着くまでには、全く違った人生で様々な経験をし、様々に痛い思いもし、様々に悩み苦しんで至ったはずだ。
だったらそれでいいではないか。
最終的に至った結論が違ってたって、真逆であったって、そんなもんどうだっていいじゃん。

そこまでの経緯、思いを知らず、知ろうとも思わないで、ブログ上の材料だけを見て、感情的に他人を批判するのは安易過ぎやしないだろうか。
曲がりなりにも男だと主張するなら、感情論じゃなく、男らしく冷静且つ理論的になったらどうだろう。

僕のブログで言えばGIDに関してだが、ここに書いていることなど僕の人生のごく一部にしか過ぎない。
その一部を見て、他人なら別にどうでもいいであろうことを、わざわざ批判してくる。
批判というのは一種の主張であって、主張には理解させよう、通そう、同意させようという意図がある。

何故、そこまで必死になって自分の意見に従わせたいのだろう。
何故、別の考え方というものがあることを受け入れることが出来ないのだろう。
自分と違う意見に、何をそんなに怯えているのだろう。
僕には、それが自信の無さに見えてならない。

自分が常に揺らぎ、ブレ、否定されることを恐れているから、自分の考えを脅かすような他人の考えが許せないんじゃないだろうか。
だからそれを必死になって否定し、潰しにかかる。
確固たる自分の考え方が在れば他人の考え方などあまり気にならないはずだし、異なる考え方があっても「そういう考え方もあるのか」と、賛同は出来なくともそれはそれで受け流すことは出来るだろう。

また批判を食らうかもしれないが、言わせてもらえば・・・。
レディースデイにパスすると思ってなかったのにパスしてしまい、うっかり訂正して女性料金で映画を観たFtMと、自分が見られたい性別をあからさまに服装や素振りで大袈裟に主張・誇示して結果的に周囲に気を遣わせ、完パスしてると思い込んでるFtMと、どちらが周りにハタ迷惑なのか、と思う。

行きずりの他人ならともかく、周囲の好意的な人間は、やはり当事者を傷つけまいとして気を遣う。
どんなに不自然であっても、当人が男として見て(扱って)欲しいならと、出来る限りの配慮をする。
出会った時から分かってたならともかく、途中で性別が変わるなんてこと普通はないから周りも戸惑うし、気苦労もかける。

それ自体は仕方がないからとやかく言うつもりはない。
GIDとは、そういうものだから。
まさかGIDと分かった時点で、今まで築き上げた人間関係や環境を自ら全て捨てろとは言えない。
捨てられないのなら、理解してもらうか、自分が折り合いをつけていくしかない。

ただ、そうやって、周囲に迷惑をかけざるを得ないのはみんな同じなのだ。
中には折り合いつけることを拒否して、自分の願望だけを強行に態度で主張する人もいる。
そういった人が、その分の負担を、どれだけ周囲に負わせてるのか。
そっちの方がよっぽど迷惑なんじゃないのか?
にも関わらず、自分の価値観を押し付け、さも自分は誰にも迷惑をかけてないと言わんばかりに、他人を批判するのはいかがなものか、と、僕個人は思う。


関連記事;
『過去の記事を読み返して』
『レディースデイ』

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2010/01/20  ジェンダー・フリー

先日、医師に近況を報告した際、最近徐々にジェンダーに縛られなくなってきてるということを素直に伝えた。
ホルモンを打っているということは、もちろん多少なりとも縛られているということになるのだが、思った以上に男性化してる部分、期待したほどしない部分が両方あり、そのいずれもが以前ほど気にならなくなった。
以前は何より気にしていた、人が自分をどう見るかということも、少しずつ気にならなくなってきた。

もちろん、全く気にならないと言えば嘘になる。
もしかしたら本当は気にしている自分を、強制的に騙しているのかもしれない。
それが証拠に、男っぽいと言われても傷つかないが、女っぽいと言われればマトモにダメージを食らう。
ホルモン治療のお陰で、以前に比べて「女」として認識される回数が減り、落ち込む数が減っただけだ。

しかし、どう頑張っても男になれることは死ぬまで無い。
そこのとこだけは、ツライが認めなきゃならない。
整形と同じで、こだわればこだわるほど、追及すれば追求するほど、どこまで何を施しても納得がいかなくなるだけなのだ。
この先もこの身体で生きていく上で、そういう精神状態で生き続けるのはあまりにも苦しいし不幸だ。
最終的には、生きること自体を投げ出したくなってくる。

だから、人とちょっと違うこの人生や身体で、楽しむぐらいの余裕が持てれば理想だと思う。
故に「こうあるべきだ」「こうあらねばならない」と制限をつけて、ガチガチに凝り固まって生きるのは息苦しいし、周りにも不必要に気を遣わせる。

カテゴライズや偏ったこだわりは、自分たちがされてツライ差別を、結局は自分も他人にすることになる。
差別は差別を呼ぶ。
それこそ本末転倒、バカバカしいセクシャルの分類化だ。

GIDとそうでない人の分類は、医師にとっては必要だろう。
投薬や手術などの治療を施すか否かを判断する基準になるから。
しかし、ソレ以外の人間に、ドコまで分類が必要だと言うのか。
GID、ビアン、ゲイ、バイ、ノンケ。
その中も更に専門用語で細分化されている。
そして、なんでもかんでもその中のどれかの属性にムリヤリ当てはめようとする。
条件にハマらなければ、またムリヤリ別の属性に押し込もうとする。

条件にハマらないといけないの?
でなきゃその条件に自分の在り方を合わせなきゃならないの?
人を、人として見てるの?セクで見てるの?どっち?
それって、一般社会が男女のどっちかに分類しようとすることと同じなんじゃないの?

誰一人、悩まず現時点に至った人なんかいない。
気安くとやかく言う前に、どこまでその苦しみを理解しようとしたか。

まぁ、結果的には僕もジェンダーに縛られている。
ホルモン治療をしているし、女の部分や男でない部分を指摘されれば今でも多少は傷つく。
これはおそらく一生消ることは無いのかもしれない。
だから一生闘うしかないんだろう。

だけど少しずつでも、自分の中の固執が取っ払えればいい。
フリーになりたい。
そうすればきっと、人の見る目や言うことなど気にせず、ラクになれるはず。

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2009/12/13  なんちゃってGID?

最近、ある場所で、「最近なんちゃってGIDが急増してて、本当のGIDが病院の予約を取れなくなってきてる」というような書き込みを見た。
 
なんちゃってGIDとは、つまり、思い込みであったり、一時的なミーハーであったり、とか、その辺のことを指すんだろうと思う(ウマく言えないのでニュアンスで理解して下さい)。
 
その人の言いたいことは、分からないでもない。
このところGIDがある程度認知されてきて、確かにそういう実害も、どこかであるのかもしれない。
実際、僕の行ってる病院でも、行き始めた頃に比べて、人は確実に増えているし、予約も取りにくくなってる。
でもしかし、である。
 
そういう増えた人たちの大部分がなんちゃってGIDであると、その人は何を根拠に言っているのだろう。
そうなのか、そうでないのか、判断するのは医師のはずだし、本当のところ、医師でも判断出来ないのではないかと思う。
人の心の奥底の部分、本音など、他人に分かるものじゃない。
なのにどうしてその人は、増えた人の大部分が、なんちゃってGIDであると言い切れるんだろう。
 
そもそも、なんちゃってGIDでもいいではないか。
みんな最初はそうじゃないのか?
それが一時的な思い込みなのか、障害と呼ばれるものなのか、そこを判断してもらうためにクリニックに行くんだろうし、ガイドラインもその判定のためにあるんだろう?
だとしたら、なんちゃってGIDが行ったとしても間違いじゃない。
最初から「僕は(私は)真性のGIDだ」と分かってる人間しか、クリニックに行っちゃいけないってのか?
その判定っていったい誰が何を根拠にするんだ?
仮になんちゃってだとしても、「それはGIDとは違う」と言ってもらうために、クリニックに行く必要はあるんじゃないのか?
あれはダメ、コレはいいなんてカテゴライズするなら、それこそマイノリティの中の差別じゃないのか?
自分らだけは本物だ、お前らとは違うんだという自己顕示からくる陶酔か?
 
差別や批判をされるつらさは、僕らが一番よく知ってるはずだ。
なのに、なぜその中から更なるマイノリティを差別しようとするのか。
それじゃ弱い者が更なる弱い者をイジメるというイジメの構造と同じじゃないか。
 
迷ってる、悩んでる、自分じゃ分からない、そうかもと思いながら違うかもしれない、違うかもと思いながらそうかもしれない、それをある程度明確にするためにクリニックに行くんだろう?
なのに、まだGIDと判定されてない人を大雑把になんちゃってGIDと呼び、GIDが差別してどうするよ?
 
僕は多くのGIDと同じく、子供の頃から性別に違和感を持ってた。
異常なのかな、と迷いながら思春期を過ごした。
それがつらくなった頃、かなりの勇気を振り絞ってセクマイの世界に片足突っ込んでみた。
ところがそこで、差別を垣間見た。
それは、こうだから違う、こうだから仲間じゃない、という一方的なカテゴライズだった。
だからその後、10年以上、再び自分が何者であるか、分からないまま、悩み続けて生きるハメになった。
その時間が無駄だったとは思ってない。
その時間があったからこそ、学べたことも多い。
だけど、もしあの出来事がなかったら、もう少し早く自分の心を自由にしてやれていたような気がする。
GID治療も、もっと少し若いうちから始められていたかもしれないし、そのために余計な人間まで傷つけずに済んだかもしれない。
 
GIDの多くは、そんな思いの一度や二度は味わってきているはずなのだ。
なのにどうして、同じ思いを、あの頃の自分と同じように今悩んでる人たちに、させて平気なのか。
 
そんなこと言ってるお前の方がなんちゃってGIDなんじゃないのか?、なんて思ったりもする。
だって、つらい思いしてきたGIDなら、同じような苦しみや迷いは分かってやれるはずだろう?
初めから答えなんて見えてないことも、分かるはずじゃないのか?
 
なんちゃってGIDも確かにいるのかもしれない。
だけど、直接一人一人を見た医師でもないクセに、そんな風に決め付けた発言をするのは、自分らだけ特別と思いたい、醜い自己顕示欲に他ならない。
 
これからカウンセリングを考えている、性別の違和感を感じている人へ。
こういうくだらない偏見に負けず、クリニックに行って欲しい。
1人で悩んだり苦しんだりせずに、少しでも生きやすい道を見つけて欲しい。
最初は自分が何者かなんて分からなくて当たり前なんだから、ありのままの自分を医師に見せて、判断をしてもらって欲しい。
GIDであるかどうかなんて関係ない。
違和感を感じている時点で、なんであれ、つらいのは確かなんだから。
それだけで君らは充分、クリニックの扉を叩く資格があるんだ。

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2009/12/10  女性の目

これは僕個人の感想なんだけど・・・女性の目は侮れない。
カンも含めて。
僕らを見抜く目は、間違いなく男より女性の方が鋭い。
 
特にある程度の年齢の女性の目は、ホーク・アイだ(笑)。
多分男は相手の肌質まで見ちゃいないけど、女性は相手が同性じゃなくてもシッカリ見てるんじゃないかな。
 
だから僕は、とりわけ女性の前ではパス度が下がる。
コンビニで、僕に対して男の店員は9割方「男性」のボタンを押す。
しかし女性の店員は5割ぐらいが「女性」のボタンを押す。
しかもオバチャンほど確率が高い。
(まぁホル打ち始めてその辺も少しは変わってきたけど)
 
男は基本的に男をジロジロ見ないし(場合によってはケンカになるからね)、ボタンに関してはアバウトな気もするからそうなるのかもしれないが、それにしても女性は相手が異性だろうが同性だろうが、瞬時によく見てる。
そして、「あれっ?」と思ったら更によく見ることが多い(男はその場合、出来るだけ関わらないよう見ないフリでスルーする人が多い)。
だからやむを得ず入らなきゃならない時でも、女性トイレは入りにくいのよ。
 
とは言っても、そんな年季の入ったオバチャンの厳しい目が、HYBRIDな僕の中にもいくらかはあるワケで、だから僕は僕(のパス度)に対して厳しくなっちゃうんだろうなぁ・・・(笑)。

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