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WILD HYBRID

40歳から第2章の人生をスタートしたGID(FtM)の航海日誌 

2024/09/20  [PR]

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  • :2024/09/20/08:57

2012/04/13  過去の記事を読み返して

ブログ自体久し振りだから、過去の記事をざっと読み返していた。
それにしても、このブログを書き始めた頃と今とでは、たった3年しか経ってないのに、劇的に考えが変化したんだなぁと改めて驚いた。

あの頃からずっと、今も一貫して変わらない考えもある。
しかし、まるで変わってしまった考えもある。
変わってしまった部分については、できることなら書き直すか、消してしまいたい気分だ。
内容によっては、同じGIDに批判されそうなものもあるし、今となっては自分で「如何なものか?」と思うところもある。

でも、それを書き変えちゃったら、ブログに書き残した意味がないのよ。
良くも悪くも、過去は今と違うから意味があるし、今のものではない考えが書いてあるからブログに意味も出てくるのだ。

たとえば、過去、僕は「自分の定義が欲しい」と言っている。
「何故肩書きを欲しがる?」と自分に訊いている。
この頃は、自分が何者であるのか、何者でありたいのか、そして何者でなければいけないと思い込んでいるのか、などとすごく悩んでいた時期だ。
ジェンダー外来の主治医にジラしプレイをされて、延々自分探しの心の旅をしていた時期だ(笑)。
この頃の気持ちは今でもはっきりと思い出せるし、悩んでいた葛藤する感情もすごくよく分かるんだが、今の僕はこの頃と同じ気持ちというわけではない。
ある意味、あの頃『肩書き』と呼んでいたようなもの(立ち位置)を今は手に入れ、「自分は自分だ」という(まだ大雑把ではあるが)答えを見つけてしまっている。

2009年12月23日の『レディースデイ』では、映画のレディースデイに初めて男性でパスしてしまい、それが全くの予想外だったためについ「あ、女なんです」と言って女性料金で映画を見、この件について「僕は“女”を活用出来る場面では目一杯活用します。命がけで男と変わらないほどの容姿を手に入れ、戸籍変更するまでは、僕は性別提示が必要な社会生活場面で、ずっと女として扱われる。僕が望もうと望むまいと、意思に関係なく強制される。僕も嫌、周囲も「えっ?」って思っても、変な目で見られつつ、容赦なく女として処理される。だったらさ、“女”である恩恵を少しぐらい受けたっていいじゃん。そんなわけで、映画はもっぱらレディースデイに行きます。」と発言して、当時、GID(当然FTMの方々)から批難を轟々に浴びた(笑)。

今となっては、批難した人の感情もそれなりに分かる(僕がもしそういう人に出会っても敢えてわざわざ批難はしないが)。
ホル打って2ヶ月目(だったかな?)にしても、そこまで治療を進めてる人が、女である部分を利用するって都合よすぎんじゃない?って思う。
今だったらしないよ、もちろん。
何故ならば、今は当時とパス度が全然違うし、社会から男性扱いされることにもだいぶ慣れたから。
でも当時は、40年近く違和感感じながらも女性として生きてきちゃって、それまでの生活習慣や立場(性別)の切り替えに全く慣れてなかったし、パス度もまだ低くて周囲からどう見えてるのか分からずにおっかなびっくりオドオドしてたし、とにかく卑屈な気持ちを開き直りに変換でもしないと精神バランスを保つ自信がなかった・・・と、今なら認めるよ。

性別に違和感を感じて、現代ならば昔に比べてずいぶん知識も得やすいし、相談する窓口もないわけじゃないし、ネットで仲間も探せる。
でも(時代のせいにするわけじゃないけど)、それがほぼなかった僕らの時代に、「普通」でいたいがために自分を抑え込みまくって無理やり「普通の人」になろうと努力しちゃうと、結果、いろんな歪み・・・っていうよりも本当の自分がバラバラになってこんがらがって、自分でも何が自分だかさっぱり分からなくなって、仮面の上に鎧着て、鎧の上に着ぐるみ着ちゃった僕のような人間ができちゃうわけです(笑)。

あの『レディースデイ』を書いた時の自分の気持ちを、僕自身は理解できるし、そういう発言をするに至った感情の流れも、本人だからそりゃよく分かる。
だけど、その感情の流れ全てはブログに書ききれないし、結論だけ読んだ他の人たちは・・・そりゃ内心ムカつくわな(汗)。

ただ、僕自身がそうだったから、誰かがムカつく発言してても、何か言う前にひと呼吸おいて言葉を飲み込むようになったんだ。
この人はこの発言に至るまでに、どんな感情の流れや葛藤があったんだろう、って。
いくら想像してみても、もちろん分からない。
その苦しさは、本人にしか分からないから。
そういう誰にも分かってもらえない苦しみがあるってことを、少なくともGIDはそれぞれ多かれ少なかれ身に沁みて知っているんだから、他人に対してもそういうふうに考えてあげられる気持ちを持ってほしいと思うし、僕も持っていたいと思う。
そうすれば、無闇に傷つけ合ったり責め合ったりするようなことは避けられるだろうから。

・・・って屁理屈くさくなったけど(汗)、要するに言いたかったのは、考えが全く変わっている部分も、青臭くてこっ恥ずかしい当時の迷走中の感情も、過去の自分の記録としてこのブログには残してあるので、それに対しては必ずしも今現在同じ考えとは受け取らず、寛大に読んで頂きたいな、ということなのです(笑)。


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『賛否両論』
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