WILD HYBRID
40歳から第2章の人生をスタートしたGID(FtM)の航海日誌
2024/09/19 | [PR] |
2012/04/23 | 子供の頃の夢 |
よく、GID(FTMの場合)の幼少エピソードで「おちんちんが生えてくると信じてた」とかって聞く。
それ(そういう幼少時の認識)がある意味模範回答みたいになってるところがある。
僕も、診断書欲しけりゃそう言った方がいいかな、とよぎったことはあるが、実際は違うので、自分史にはそうは書かなかった(当たり前だが)。
僕が幼少の頃から女の子らしくなかったのは事実だ。
僕が嫌がったからなのか、母が倹約した結果かは知らないが、ぴらぴらと女の子らしい恰好をした写真はほとんどない(そりゃ若干はありますよ、やっぱり)。
そして、女の子らしい遊びを好まなかったのも事実だ。
とりわけチャンバラ(笑)が好きだったし、ルパン三世ごっことかやれば峰不二子だけは絶対にイヤだった(爆)。
「自分は男がいい」という明確な意思があったわけではないが、それに似たもやもやしたものが、物心もつかない頃から自分にあったのは確かだ。
ただ、それは「男だと信じてた」とか「おちんちんが生えてくると信じてた」といった、明確な言葉にできる感情ではなかった。
そしてまた同時に、何故か思春期を迎える前から、自分が女であること、男ではないこと、男にはなれないであろうことも、もう察していた。
やがて時は経ち、そういった願望をなんとなく自覚し始めた(と言うより、その願望のためにストレスを感じ始めた)小学校あたりで、考えていた夢がある。
もちろん普通の夢もあった。
「動物カメラマンになりたい」とか子供らしい夢を持っていたのも覚えてる。
けど、もっと漠然とした夢?願望?みたいなものが、別にあった。
それは「死にたい」という願望だ。
しかし、そうは言っても、それは自殺願望とはちょっと違った。
「このまま生きていても完全な男にはなれないから、完全な男になるために、早く死んで生まれ変わってきたい」、という(本人的には)前向きな願望である。
生まれ変わっても男になれるって保証ないじゃん、とか、ツッコミどころはいろいろあると思うが、小学校低学年の子供の考えたことなので、そのあたりはご容赦ください(笑)。
僕はどうやらその頃から完璧主義で、完璧でないと嫌だったらしい。
この困った完璧主義は後々にも引きずり、カウンセリングを受けるまで延々僕を困らせることになるが、それはとりあえず置いておく。
年齢が上がるほど、「完全な男にはなれない」という現実を僕は認識して、死を望むと言うよりは、新しい『男』としての人生(今風に言えば、リセット)を僕は望むようになっていった。
男の恰好をしたからといって、この先の未来、顔が、骨格が、身体つきが、声が、何もかもが女にしかならないという現実を察していた子供の自分ってなんなんだ?とか、今でも不思議に思うが(笑)。
そんな僕が(確か中学生くらいで)当時ハマったマンガがあった。
弓月光の『ボクの初体験』という作品だ。
タイトルからしてエロいが(内容も子供からしたらエロかったと思うが)、僕がハマった理由はエロではない(笑)。
あらすじはやや長くなるので省くが、要するに男(の脳)が女(の身体)に移植されて巻き起こる騒動のコメディだ。
ストーリー云々より、ポイントはここ→『異性の身体に脳移植』だった。
これだ!と思ったよね〜。
これが現実の医学でも可能にならないかな?、って本気で考えた。
僕が大人になる頃にこれが可能になってれば、僕は男の身体が持てるんじゃないかなって(実際に可能になったとしても身体の提供者が必要なわけで、かなり無理があると思うのだが・・・その辺は子供だから都合の悪いとこは見ないようにしてたらしい^^;)。
でも、逆に言えば、これぐらいのことが可能にでもならない限り、僕の望みは叶わないと絶望もしていた(まぁ無理だろうってことは子供心に分かってはいた)。
だから、もう1つの手段は、早く死んで生まれ変わること、と思っていたのだ。
ちなみに当時はさすがにホルモン治療や胸オペ、SRSの存在を知らなかった(実際にその治療がどこまで存在してたのかも知らないけど)。
だからそのずーっと遠い未来(結構いい年になってから)、ホルモン治療という内分泌部物質で内側から変えられるものがあって、それによって声が変わり、身体つきも変わり、ある程度はヒゲも生えたりして男性化が可能である、と知った時は嬉しかったな。
胸オペもずっと身近なものになっていることを知った時は驚いた。
全てをあきらめてたから、本当に嬉しかった・・・。
胸オペについては、僕は今のところ受けてないし受ける予定もないが、その気になればそういう選択肢もあるというだけで、随分心は救われる。
子供の頃望んでその後も望み続けた『完全な男』は無理でも、ホルモン治療というもので、ただの男装から、ある程度パスできる身体の変化が可能と知った時には本当に感激したし、遅ればせながらでも実際にその治療を始めて至った今は、往生際悪くここまで生きてきてよかった、と思える。
死んだら生まれ変わりなどなくただ無に還るだけかもしれないし、よしんば生まれ変われたとしたって男で生まれられるかなんて保証はない。
だったら、今確かにある人生の、今確かに持ってる自分の手駒でどこまで人生楽しむか。
無いものを無いと嘆きながら生きるのか、有るものを最大限活用して生きるのか、どちらにしてもいつかは終わる命である。
どう生きるかは、手駒の数じゃなく、心ひとつなんじゃないのかな。
そして、治療のタイミングに早い遅いはあっても、考え方を切り替えるのに早いも遅いも若いも年寄りもないと信じてる。
それ(そういう幼少時の認識)がある意味模範回答みたいになってるところがある。
僕も、診断書欲しけりゃそう言った方がいいかな、とよぎったことはあるが、実際は違うので、自分史にはそうは書かなかった(当たり前だが)。
僕が幼少の頃から女の子らしくなかったのは事実だ。
僕が嫌がったからなのか、母が倹約した結果かは知らないが、ぴらぴらと女の子らしい恰好をした写真はほとんどない(そりゃ若干はありますよ、やっぱり)。
そして、女の子らしい遊びを好まなかったのも事実だ。
とりわけチャンバラ(笑)が好きだったし、ルパン三世ごっことかやれば峰不二子だけは絶対にイヤだった(爆)。
「自分は男がいい」という明確な意思があったわけではないが、それに似たもやもやしたものが、物心もつかない頃から自分にあったのは確かだ。
ただ、それは「男だと信じてた」とか「おちんちんが生えてくると信じてた」といった、明確な言葉にできる感情ではなかった。
そしてまた同時に、何故か思春期を迎える前から、自分が女であること、男ではないこと、男にはなれないであろうことも、もう察していた。
やがて時は経ち、そういった願望をなんとなく自覚し始めた(と言うより、その願望のためにストレスを感じ始めた)小学校あたりで、考えていた夢がある。
もちろん普通の夢もあった。
「動物カメラマンになりたい」とか子供らしい夢を持っていたのも覚えてる。
けど、もっと漠然とした夢?願望?みたいなものが、別にあった。
それは「死にたい」という願望だ。
しかし、そうは言っても、それは自殺願望とはちょっと違った。
「このまま生きていても完全な男にはなれないから、完全な男になるために、早く死んで生まれ変わってきたい」、という(本人的には)前向きな願望である。
生まれ変わっても男になれるって保証ないじゃん、とか、ツッコミどころはいろいろあると思うが、小学校低学年の子供の考えたことなので、そのあたりはご容赦ください(笑)。
僕はどうやらその頃から完璧主義で、完璧でないと嫌だったらしい。
この困った完璧主義は後々にも引きずり、カウンセリングを受けるまで延々僕を困らせることになるが、それはとりあえず置いておく。
年齢が上がるほど、「完全な男にはなれない」という現実を僕は認識して、死を望むと言うよりは、新しい『男』としての人生(今風に言えば、リセット)を僕は望むようになっていった。
男の恰好をしたからといって、この先の未来、顔が、骨格が、身体つきが、声が、何もかもが女にしかならないという現実を察していた子供の自分ってなんなんだ?とか、今でも不思議に思うが(笑)。
そんな僕が(確か中学生くらいで)当時ハマったマンガがあった。
弓月光の『ボクの初体験』という作品だ。
タイトルからしてエロいが(内容も子供からしたらエロかったと思うが)、僕がハマった理由はエロではない(笑)。
あらすじはやや長くなるので省くが、要するに男(の脳)が女(の身体)に移植されて巻き起こる騒動のコメディだ。
ストーリー云々より、ポイントはここ→『異性の身体に脳移植』だった。
これだ!と思ったよね〜。
これが現実の医学でも可能にならないかな?、って本気で考えた。
僕が大人になる頃にこれが可能になってれば、僕は男の身体が持てるんじゃないかなって(実際に可能になったとしても身体の提供者が必要なわけで、かなり無理があると思うのだが・・・その辺は子供だから都合の悪いとこは見ないようにしてたらしい^^;)。
でも、逆に言えば、これぐらいのことが可能にでもならない限り、僕の望みは叶わないと絶望もしていた(まぁ無理だろうってことは子供心に分かってはいた)。
だから、もう1つの手段は、早く死んで生まれ変わること、と思っていたのだ。
ちなみに当時はさすがにホルモン治療や胸オペ、SRSの存在を知らなかった(実際にその治療がどこまで存在してたのかも知らないけど)。
だからそのずーっと遠い未来(結構いい年になってから)、ホルモン治療という内分泌部物質で内側から変えられるものがあって、それによって声が変わり、身体つきも変わり、ある程度はヒゲも生えたりして男性化が可能である、と知った時は嬉しかったな。
胸オペもずっと身近なものになっていることを知った時は驚いた。
全てをあきらめてたから、本当に嬉しかった・・・。
胸オペについては、僕は今のところ受けてないし受ける予定もないが、その気になればそういう選択肢もあるというだけで、随分心は救われる。
子供の頃望んでその後も望み続けた『完全な男』は無理でも、ホルモン治療というもので、ただの男装から、ある程度パスできる身体の変化が可能と知った時には本当に感激したし、遅ればせながらでも実際にその治療を始めて至った今は、往生際悪くここまで生きてきてよかった、と思える。
死んだら生まれ変わりなどなくただ無に還るだけかもしれないし、よしんば生まれ変われたとしたって男で生まれられるかなんて保証はない。
だったら、今確かにある人生の、今確かに持ってる自分の手駒でどこまで人生楽しむか。
無いものを無いと嘆きながら生きるのか、有るものを最大限活用して生きるのか、どちらにしてもいつかは終わる命である。
どう生きるかは、手駒の数じゃなく、心ひとつなんじゃないのかな。
そして、治療のタイミングに早い遅いはあっても、考え方を切り替えるのに早いも遅いも若いも年寄りもないと信じてる。
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