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WILD HYBRID

40歳から第2章の人生をスタートしたGID(FtM)の航海日誌 

2024/09/19  [PR]

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  • :2024/09/19/05:40

2019/06/25  まだ生きてるよ(笑)

母が他界して、約3年が経った。
ブログ更新やTwitterをコンスタントにやる余裕がなかった大きな理由の一つに、そのことがありました。
ここ数年、とりわけ母が亡くなった前後の数年間は、弱っていく母のことでいっぱいいっぱいで。
他に家族はもういないので、全てを自分がやるしかなく。
もちろん、陰ながら支えてくれた友人たちがいなければ、自分ひとりじゃあそこまで出来なかったけどね。

今思えば、母のことがあって、ものすごくたくさんの人と関わったように思う。
母のいた施設のスタッフさん達、母が通院していた病院のスタッフさん達、母が入院した病院のスタッフさん達、母が転院した先のスタッフさん達、母の居住地だった市役所の職員さん達、そして葬儀社のスタッフさん達、お経をあげてくれたお寺のご住職とその奥様。
総勢何十人だろうって人々。
その人々ほとんど全てに、あれこれ悩む余裕もなく、必然的にカミングアウトをするという経験を、母はさせてくれた。
記載上『娘』になっているのに『息子』(?)が来たら戸惑われる(怪しまれる)し、母が直接僕のことを説明できるようなコンディションにはなかったので、不審な顔をされる前に、行く先々で都度都度率先してカミングアウトをしていった。
告げるのは僕のためではなく『母』という目的が常にあったから、「いちいち面倒くさいなぁ」と多少感じることはあっても、それ以外に大したストレスは感じなかった。
そしてそれを聞いた側も、同じく目的は『母』の件でありカミングアウトを聞くことではなかったので、幸いにもすんなり受け入れてもらえて、あれこれ突っ込まれたり極度に不快な思いをさせられることなどはなく済んだ。
おそらく人生でもう二度とない経験になったと思う。

その経験を思い返しながら、ふと、今一度『性同一性障害』というものを考えてみた。
この『障害』(障害って呼び方もどうなのか?とは思うけど、ここではあえてそう書く)は治せない・・・と言うより治せる治せないという問題のものではない。
でも、乗り越えることは出来る。
乗り越え方は人それぞれ違うだろうし、それに正解も間違いも多分、ない。
ただ、乗り越えられる力をつけたなら、それはもう『障害』なんかじゃない。
ただの自分の『ごく一部』。

まぁ他人から見れば多少不便に見えるかもしれないけど、自分が人を見てたって、何の『障害』もないごく普通の人でさえコンプレックスを抱えている人はたくさんいるわけで。
そりゃあ一生変えられないことはあるけど、そんな『何か』はおそらく全ての人が1つや2つは持っているわけで。
結局、一生つきまとってくるのは悩みそのものなんじゃなくて、それを悩んでる自分自身なのかもしれないなって気も、最近はしてる。
で、それなら気持ちひとつで、多少は変えたり振り払ったり出来るはずなんじゃないかな、とも思う。

40という遅い年齢からホルモンを始め、また、(いろいろ思案した上で)オペまでは踏み切らないという選択をした僕だけれど、少し時間が出来てきたから、そういう一例としてここにポツポツと何か書いていければと思う。
セクがグラデーションだと言うのなら、もしかしたらセクも全く同じ人は2人といないのかもしれない。
だからある意味みんな孤独で、だけどある意味みんな独りじゃないんじゃないかな、って最近は考えてる。
自分と違うからと言って、他人を否定さえしなければ。

めっちゃひっさしぶりにブログ書いたので、細く長く再びよろしくお願い致します(笑)。

追伸;
拍手コメント、全部拝見しております。
返信返したいけれど、ここのブログシステムでは拍手のコメントに返す術が無くて・・・スルーみたいになってごめんなさいm(__)m。
LINEアカウントも持ってるので、拍手コメント(非公開)で送ってくれればレスします。

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2012/04/23  子供の頃の夢

よく、GID(FTMの場合)の幼少エピソードで「おちんちんが生えてくると信じてた」とかって聞く。
それ(そういう幼少時の認識)がある意味模範回答みたいになってるところがある。
僕も、診断書欲しけりゃそう言った方がいいかな、とよぎったことはあるが、実際は違うので、自分史にはそうは書かなかった(当たり前だが)。

僕が幼少の頃から女の子らしくなかったのは事実だ。
僕が嫌がったからなのか、母が倹約した結果かは知らないが、ぴらぴらと女の子らしい恰好をした写真はほとんどない(そりゃ若干はありますよ、やっぱり)。
そして、女の子らしい遊びを好まなかったのも事実だ。
とりわけチャンバラ(笑)が好きだったし、ルパン三世ごっことかやれば峰不二子だけは絶対にイヤだった(爆)。

「自分は男がいい」という明確な意思があったわけではないが、それに似たもやもやしたものが、物心もつかない頃から自分にあったのは確かだ。
ただ、それは「男だと信じてた」とか「おちんちんが生えてくると信じてた」といった、明確な言葉にできる感情ではなかった。
そしてまた同時に、何故か思春期を迎える前から、自分が女であること、男ではないこと、男にはなれないであろうことも、もう察していた。

やがて時は経ち、そういった願望をなんとなく自覚し始めた(と言うより、その願望のためにストレスを感じ始めた)小学校あたりで、考えていた夢がある。
もちろん普通の夢もあった。
「動物カメラマンになりたい」とか子供らしい夢を持っていたのも覚えてる。
けど、もっと漠然とした夢?願望?みたいなものが、別にあった。
それは「死にたい」という願望だ。
しかし、そうは言っても、それは自殺願望とはちょっと違った。
「このまま生きていても完全な男にはなれないから、完全な男になるために、早く死んで生まれ変わってきたい」、という(本人的には)前向きな願望である。
生まれ変わっても男になれるって保証ないじゃん、とか、ツッコミどころはいろいろあると思うが、小学校低学年の子供の考えたことなので、そのあたりはご容赦ください(笑)。

僕はどうやらその頃から完璧主義で、完璧でないと嫌だったらしい。
この困った完璧主義は後々にも引きずり、カウンセリングを受けるまで延々僕を困らせることになるが、それはとりあえず置いておく。

年齢が上がるほど、「完全な男にはなれない」という現実を僕は認識して、死を望むと言うよりは、新しい『男』としての人生(今風に言えば、リセット)を僕は望むようになっていった。
男の恰好をしたからといって、この先の未来、顔が、骨格が、身体つきが、声が、何もかもが女にしかならないという現実を察していた子供の自分ってなんなんだ?とか、今でも不思議に思うが(笑)。

そんな僕が(確か中学生くらいで)当時ハマったマンガがあった。
弓月光の『ボクの初体験』という作品だ。
タイトルからしてエロいが(内容も子供からしたらエロかったと思うが)、僕がハマった理由はエロではない(笑)。
あらすじはやや長くなるので省くが、要するに男(の脳)が女(の身体)に移植されて巻き起こる騒動のコメディだ。
ストーリー云々より、ポイントはここ→『異性の身体に脳移植』だった。
これだ!と思ったよね〜。
これが現実の医学でも可能にならないかな?、って本気で考えた。
僕が大人になる頃にこれが可能になってれば、僕は男の身体が持てるんじゃないかなって(実際に可能になったとしても身体の提供者が必要なわけで、かなり無理があると思うのだが・・・その辺は子供だから都合の悪いとこは見ないようにしてたらしい^^;)。

でも、逆に言えば、これぐらいのことが可能にでもならない限り、僕の望みは叶わないと絶望もしていた(まぁ無理だろうってことは子供心に分かってはいた)。
だから、もう1つの手段は、早く死んで生まれ変わること、と思っていたのだ。

ちなみに当時はさすがにホルモン治療や胸オペ、SRSの存在を知らなかった(実際にその治療がどこまで存在してたのかも知らないけど)。
だからそのずーっと遠い未来(結構いい年になってから)、ホルモン治療という内分泌部物質で内側から変えられるものがあって、それによって声が変わり、身体つきも変わり、ある程度はヒゲも生えたりして男性化が可能である、と知った時は嬉しかったな。
胸オペもずっと身近なものになっていることを知った時は驚いた。
全てをあきらめてたから、本当に嬉しかった・・・。

胸オペについては、僕は今のところ受けてないし受ける予定もないが、その気になればそういう選択肢もあるというだけで、随分心は救われる。
子供の頃望んでその後も望み続けた『完全な男』は無理でも、ホルモン治療というもので、ただの男装から、ある程度パスできる身体の変化が可能と知った時には本当に感激したし、遅ればせながらでも実際にその治療を始めて至った今は、往生際悪くここまで生きてきてよかった、と思える。

死んだら生まれ変わりなどなくただ無に還るだけかもしれないし、よしんば生まれ変われたとしたって男で生まれられるかなんて保証はない。
だったら、今確かにある人生の、今確かに持ってる自分の手駒でどこまで人生楽しむか。
無いものを無いと嘆きながら生きるのか、有るものを最大限活用して生きるのか、どちらにしてもいつかは終わる命である。
どう生きるかは、手駒の数じゃなく、心ひとつなんじゃないのかな。
そして、治療のタイミングに早い遅いはあっても、考え方を切り替えるのに早いも遅いも若いも年寄りもないと信じてる。

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2009/10/20  お久しぶりです

ご無沙汰してました。
JINです。

診断(意見書)から3ヶ月。
「好きなだけたくさん悩んで下さい」という医師のお言葉に甘えて、悩みに悩んでました。

そして、結論が出ました。

「結論なんか出ねぇ」っていう結論が(笑)。

結局、スッキリとした結論なんか出ないってことが分かった。
変わりたいストレス、変われないストレス、変には変わりたくない不安、リスクへの不安。
そんなもの、ホルモンを打っても打たなくても、全てから解放される結論などあるわけない。
迷いがないほうが、むしろ盲目で恐ろしい気もする。
あとはどこに妥協点を据えるか、という問題だけだ。

40年間、カラダに手を加えずに悩んできた。
このまま加えなければ、引き続きそれが続くだけだ。
それ以下にもならない代わり、それ以上にもならない。

まだ知らないのは、手を加えた悩みだ。
まるで未知数で、どうなるか分からない。
耐えられない苦しみがあるかもしれない代わり、今までにない楽しさがあるかもしれない。

そして今日、迷いながらも打ちました。

ケツに。


どうなるかは分かりません。
一生打つとも決めてません。

この3ヶ月いろいろ考えたことを、後日つらつら書いてみようと思います。

とりあえず今日はくたびれたので、ご報告のみで失礼。

ちなみに、今のところ打ったことを忘れるほど、なんも変わりありません。
当たり前だけど(笑)。

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2009/08/05  結果報告

本日はAクリニックの日。
 
Bクリニックの方でGIDの判定が出たことを医師に報告した。
実はAクリニックの地域でも、その審議会にかけることは出来たのだ。
ただ、僕が、出来れば家に近い方でのホルモン注射を望んでいて、最初の話では、家に近いBクリニックから注射をしてくれる産婦人科を紹介してもらえるということだったので、そちらでやってもうことにしたのだった。
 
しかし、実際にBクリニックの医師が紹介してくれた産婦人科は、「あくまでも提供された情報なので、実際にやってくれるかどうかは直接問い合わせて欲しい」という曖昧なものだった。
それなら、もういっそすべてをAクリニックに委ねるつもりで、打つ時は染色体検査をした産婦人科の方にお願いしようと思った。
 
以下はあくまでも僕の個人的な印象だが・・・。
Aクリニックの医師は、ホルモンを打つことに慎重な僕に対して「ホルモンが許可されたからと言って必ず打たなければならないということはないんだから、悩むだけ悩んで、じっくり時間をかけて決めていいですよ」というスタンス。
Bクリニックの医師は(言葉でそう言われたわけではないが)「何故打たないの?打たないなら何故カウンセリングを受けているの?」というスタンスに感じられた。
 
どちらにしても、Aクリニックは今後も当面通い続けることになるし、Bクリニックは4回で終了ということなので、僕はAクリニックの医師の元、考えに考え抜いて、結論を出そうと思う。

始めることは、もういつでも出来る。
このままの状態で生きやすくは決してないし、打ちたい(カラダを男に近づけたい)気持ちは常に悶々としているが、手に入れた確かな通行手形がある分、心は少しだけラクになった。

始めたら、原則、簡単には中止が出来ない。
だから、後悔のないように、僕の周りの人たちにも配慮しながら決めたい。
 
またいつか、自分に何か進展があった時、ここを更新したいと思います。
打ち始めたら、その経過報告を、打たない選択をしたら、その結論を報告しに。

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2008/07/01  友人のアドバイス

前に、僕はセクマイの友人や仲間がいないと書いた。
でも、30歳ぐらいの時、ネットで知り合った女性が1人だけいた。
 彼女はレズビアンだが、TSやTGなどの知り合いもそこそこいる。
 
ちょうど婦人科の(女性)ホルモン治療を打ち切った頃、僕はネットでFtMや(男性)ホルモン治療のことを調べ始めていた。
とは言っても、周囲に知り合いはいないし、堅苦しい医学用語が並んでいるページや他人のブログでは今ひとつ具体的な感じがつかめない。
 
それまで、僕は、男性化するということは性転換手術を受けるという方法しか無いと思っていた。
ところが、ホルモン治療は、注射を打つだけである程度の男性化が望めると言う。
しゃべると「え?」という目で見られる嫌いな声も、個人差はあるものの男性に近い声に変わると言う情報を知って、希望の光を見たような気持ちになった。
 
だが、その男性化というのも、どの程度どうなるか、ということが詳しく分からない。
 
そりゃ出来ることなら完全に男性化したい。
が、そこまで望むならやはり手術は必須になってくる。
金銭的な問題もあるし、年齢的にも正直ムリを感じる。
そして、手術までしたところで、女性らしい骨格までは変えられない。
印象というものは、意外とそんなところから違和感を覚えるものだ。
どこまで身体をイジクっても、完全に男になれるわけじゃない。
 
だとしたら、ホルモンでどこまで男性化するのか。
声が変わり、毛が濃くなり、ヒゲが生え、筋肉質になり、その先はどうなるのか?
 
僕は、趣味でスノーボードをやっている。
趣味と言えばそれまでだが、一度命まで捨ててしまおうかと思った時、没頭することで命を救われた、唯一の生き甲斐だ。
一緒に行く男の仲間(若干1名)もいる。
 
始めた頃、僕は滑り終わった後の風呂がイヤで、汗だくのままウェアだけ脱いで、インナーは着替えもせずに帰っていた。
風呂=大浴場で、当然入るのは女風呂だからだ。
子供の頃から銭湯や大浴場が嫌いで、修学旅行などでやむを得ない時以外、一度も入ったことがない。
友人と温泉旅行などに行くことがあっても(滅多に行かなかったが)、自分だけは内風呂で済ませた。

そんな僕に付き合って、仲間も風呂に入らないで帰っていた。
しかし、40も超えたオッサンとしては、風呂も温泉も大好きなはずだ。
 
僕の勝手な好き嫌いに付き合せるのが可哀想で、ある時期から僕は風呂に入るようになった。
「大手を振って女風呂に入れるぜ♪」なんて開き直って言ってはいるが、実際には非常に居心地悪いし、目のやり場にも少々困る。
それでもスノーボードでヘトヘトになり、その後冷えた身体に風呂は必要だ。
 
ホルモンを打ったら、その風呂にも入れなくなるのだろうか。
手術まで行かなきゃまず男風呂には入れないわけだし、その上女風呂まで入れなくなったら、また仲間に不自由をかけなきゃならなくなるのだろうか。
ハタが聞いたら笑うような悩みかもしれないが、当の本人にとっては結構深刻な悩みだったりした。
 
そんな折、冒頭の友人と話す機会があって、そんな話をポロッと口にした。
すると彼女は笑って言った。
「別にホルモン打ったって胸がなくなるわけじゃないし、アレが生えてくるわけでもないし、大丈夫よ、お風呂ぐらい。そりゃあんまり男っぽくなってたら多少は驚かれるかもしれないけど、あるものあるんだし、ヒゲだって少しぐらい濃い女性はいっぱいいるんだから問題ないわよ」
 
実際本当にそんなんで大丈夫なのかは分からないが(汗)、とにかく可能性がゼロになるわけじゃないんだ、と分かってホッとした。
喜ばしいことではないが、それと同じぐらい、僕の性別のことが原因で仲間に不自由をかけるのも僕はイヤなのだ。
 
それ以上詳しいことを知ろうと思ったら、もう自分で直に聞くしかない。
最終的に彼女のその言葉に背中を押され、ついでにジェンダー外来のある病院を教えてもらい、僕はついにクリニックの初診予約を取った。

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