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WILD HYBRID

40歳から第2章の人生をスタートしたGID(FtM)の航海日誌 

2024/09/19  [PR]

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  • :2024/09/19/23:41

2008/01/03  トラウマ

さて、ブログの説明文にも書いたけど、僕はTG?TS?FtM?GID?それとも?・・・といった感じで、少なくとも世間一般で大雑把に分類されるノーマルな性別の人間ではないようです。
 
戸籍と生物学上の性別は女性ですが、それが必ずしも自分の心や行動・趣向・外見とは一致せず、その違和感にかなり長いこと独りで悩んできた。
なんせクリニックに行き始めたのが39歳からだからね。
 
20代前半ぐらいの頃、つまり今から約15年ぐらい前に悩みがMAXになり、とにかく自分が何者であるのか、その答えが欲しくて、その答えを出すための情報が欲しくて、アングラな世界の情報収集を試みた。
 
同類の知人友人がいない僕にとってインターネットなんてものがまだ身近に無い当時、広い範囲での情報収集は非常に難しく、狭い世界の情報しか見つけられなかった。
 
で、全ての価値観が僕の見てきたものだけとは思わないし、僕が知らないだけでもっと違った集まりがあったのかもしれないが、僕が出会ってしまったグループ?集団?コミュニティー?の主流的な価値観は非常に偏ったものだった。
まぁそれでも当時、そこはセクシャル・マイノリティーのコミュニティとしてはそれなりに大人数でそこそこ有名でもあったとこなんだけど。
 
メインのメンバーはGIDではなくレズビアンの女性たち。
まだFtMやGIDという言葉自体もほとんど聞くことはなく、男性になりたい女性、自分の性自認が男性である女性はおなべと呼ばれるのがメジャーだった時代(と認識している)。
 
おなべである暗黙の条件もまた偏ったものだった(気がする)。
女性として生きることが出来る(出来た期間がある)人間や男性と付き合える(付き合ったことがある)人間は、ただそれだけで「アンタは違う、思い込みだ」と全否定される場合もあり、時にはボロクソに言われ、排除された(あくまでも僕が見てきた範囲の世界だけの話なので)。
 
自分が何故女性として生きていられる歳月があったのか、どうして男性とも付き合えたのか。
 
その説明は、生い立ちやら、家庭環境やら、その流れの中での人格形成やら、心理的影響やら・・・書き始めるととてもじゃないけど書ききれる量じゃないんで省かざるを得ないが、とにかくそのどちらにも当てはまった僕はそこで自分に対する答えを見つけ損なった。
 
そうか、僕はそういうカテゴリーに入れる人間でもないのか・・・。
 
女として生きた期間はあるが、女として生き続けることは苦しい。
男に惚れたこともあるが、男として女に惚れるし惚れたら触れたいとも思う。
でも(女性として女性に惚れる)レズビアンではない。
(女性として両性、若しくは男性として両性に惚れる)バイセクシュアルでもない。
かと言って、(女性として生きても来れた過去があっては)おなべでもない。
だったら僕はなんなんだ?
 
答えが出ないまま、もう出ることもないのだろうとあきらめ、自分の気持ちにフタをして、少なくとも社会で生きていく中で『異常な人間』に見られないよう、社会が決めた枠にハマる努力をして、あれから10年以上生きてきた。
 
そのコミュニティですっかり懲りて、そっちの世界の人間とも一切関わらないようにして生きてたので、相談出来る仲間もいない。
差別をされた代わりに、自分も差別意識を持ったのかもしれない。
 
最近になって、インターネットで膨大な情報を手軽に見られるようになり、この世界も随分変わってきたのだな、と思った。
それまでの人生の性別認識にハッキリした境界線がなくても、違和感を感じて生きにくく苦しいと感じているならFtMとしてカウンセリングを受けられ、必ずしも全否定されないことも知った。
 
ただ、正直、今さら開き直って生きるには、あまりにも長い年月、自分を抑えてきてしまった。
年齢ばかりの問題ではないとは思うが、それまでの人生が20年の人とそれまでの人生が40年の人間では
やはりどうしても壊せる固定観念に差が出てくる。
 
心だけじゃない。
身体だって、何もしなくても既にガタが出る年になっている。
身体に負担のかかるホルモンは、喉から手が出るほど打ちたくても、その副作用を考えると簡単には手が出せない。
「ヘタをすると命に関わる」の『ヘタ』が、20代の人よりは確実に傍にある。
 
クリニックに通って、改めてそれらを突きつけられ、39歳から、僕は自分の心や身体と向き合うことになった。

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2008/01/02  ハイブリッド

自然なままでいたいのに、人は何でも全ての事柄を何かしらのカテゴリーに入れたがる。
そしてそのどれにもハマらないと、異端なモノだとハジく。
 
アナタは女?それとも男?
心はドッチなの?好きになるのはドッチなの?
普段の生活はドッチでしてるの?
 
どっちでもいいじゃん、どっちでもいいよ。
アナタに見えるままで。
女に見えるなら女で、男に見えるなら男で。
 
そりゃ希望はあります。
「こう見られたい」って希望や願望は、性別に限らなきゃ誰にだってあるでしょう?
だけどそう見えないのにそう見てくれよって押し付けたら相手が迷惑するか、同情でそう扱われるか、そのどっちかになってっちゃうでしょう?
そんなモンどっちもイヤだし、欲しくない。
 
例えば血液型だって、大雑把に分ければ4タイプだけど、細かく分ければ個人を特定出来るぐらい数え切れないほどの種類がある。
 
なのに人間の、心にも大きく関わってくる性別が、なんで男と女の2種類しかなくて、その2種類しかあっちゃいけないと決められてるのか分からない。
 
世に言うFtMという部類におそらく入るであろう自分。
希望通りにならないことは山ほどある。
どんなに男に近づこうとも、生まれた時点の性が違えば、男は同性とはまず認めないだろう。
事実、骨格とか遺伝子情報までは変えられない。
認めたくはないけどそれが現実。
そしてそのイヤなとこも自分の一部。
そうでも思わなきゃ生きていくのも難しくなってくる。
 
男にだって女性っぽい部分はある。
女にだって男性っぽい部分はある。
普通の人だってソレが見え隠れする。
 
だったらホントにごちゃ混ぜの雑種がいたっていいじゃんよ。
 
問題なのは雑種の存在じゃなく、雑種に市民権が無いってことだろ。
それとも雑種だからっつって人間ですらないと言うのか?
 
男とか女とか、そういうの以前に人間でしょ。
人間として自然に、自分に素直に生きたい。
周りの決めた枠に合わせて自分殺して生きるなら、例え差別されなくたって生きてる実感なんか感じられない。
 
なんてことを考えつつ日々葛藤している、まだまだ弱い40歳の僕です。

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2008/01/01  このブログについて

まず、この記事の投稿日について。
日付は2008年の初頭からになってますが、実際に書いてるのは2009年の3月1日です(笑)。
 
去年の暮れ、つまり2008年暮れ、思いつくままにブログを作ってみた。
が、行き当たりばったりだったので続かなかった。
僕の場合、徒然・・・というのはどうも苦手で、テーマを決めてたりハッキリした目的が無いと、書くって作業がなかなか続かない。
 
せっかくブログを作るんだし、出来れば続けたい。
だったら自分が近年最も模索していることについて、そしてまた模索している経過について書こうと思い、もう一度ブログを書き直すことにしました。
 
経過については過去にさかのぼることになるので、最初の記事の日付が2008年初頭になったというわけです。
まぁもう1年近く前のことをさかのぼろうとしても細かいことはあまり憶えてないというのが実際で、日付と回数を記録する覚書程度になっちゃうけど・・・。
現在の日付に追いつくまで、ゆっくりではありますが、徐々に過去の経過を書いていきたいと思います。
 
自分が悩んだ時、インターネットでいろんな方の体験記やらブログを拝見する中で、僕の年齢ぐらいで自覚したり行動を始めたという人がほとんどいないなぁという印象があった。
多くはみんな10〜20代ぐらいの若い方だったかな。
同じぐらいの年の人がいても、自覚や行動自体はもっとずっと若い頃からあったという人ばかりで。
 
僕自身、身体ばっかり年齢を重ねていて、心はまったく成長出来ていない気はするんで、若いとかそうでないとかの年齢的な差別意識は持ってないんですが(っつかむしろ同年代との方が話が合わない・・・)、年を取ると、イヤでも年齢に応じて考え方の違いが出てきたり、周囲や家族環境、年ごとに増える身体のリスク等、やっぱり20代と同じわけにもいかないのも事実。
 
僕のような年齢にきて往生際悪く動き出すのは僕ぐらいなんだろうか?(汗)と思いつつ、もしどこかに同じような立場の人がいるなら、同年代の話というのも参考になるのかもしれないと思い、あえて年齢にも重点を置いてブログを書いてみることにしました。
 
また、僕は身の周りにGID仲間?という存在がいません。
後日触れますが、過去のある体験がトラウマになって、むしろそういう世界の人とは関わらないように生きてきたフシがある。
性別の問題に限らず、人にはそれぞれ様々な考え方があるし、価値観や考え方の違いなどは当然あると思うけど、はやりGID同士にしか分からない考えや悩みもあると思うから、この場を通してGIDやGIDと関わっている方々と意見や情報の交換が出来たらいいなとも思います。
 
改めて、どうぞよろしく。

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